あれはまだ実家を建て替える前の、古い家に住んでいたころで、壁の木目がむき出しのリビングには、これまた古いテレビが1台置いてあって、映っているのは『ひょっこりひょうたん島』。わたしは部屋の入り口に立っていて、中に入るわけでもなく、テレビが映っているのをぼうっと見ている、そんな風景……。

おそらく2~3歳くらいでしょうか、それが記者のもっとも古い記憶です。しかしその以前、ハイハイして家じゅうを歩きまわり、また夜中泣きわめいたこともあったでしょう。では、その記憶はどこに行ったのでしょうか? それとも、そんな記憶は元々わたしの中にはないのでしょうか?

『ひょっこりひょうたん島』

子どもの頃に見ていた人形劇も、内容までは意外と覚えていなかったりする。

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国際児童・青少年演劇フェスティバルおきなわ

Most adults can’t remember much of what happened to them before age 3 or so. What happens to the memories formed in those earliest years?

失われた記憶を求めて

もっとも古い記憶とは、すなわち自分が『初めて忘れずに済んだ出来事』だといえるでしょう。たしかに、2歳以下ともなれば、覚えていないのもやむを得ないような気がします。むしろ、こと細やかに覚えていられても、ちょっと気味が悪いかもしれません……。

しかし、カナダ・ニューファンドランドのメモリアル大学で心理学を教えるキャロル・ピーターソン教授によれば、小さい子どもたちは、なんと生後20ヶ月頃までの記憶を思い出すことができるといいます。ただしその頃の記憶は、多くが4~7歳のあいだに失われてしまうというのです。

また、発達心理学者のスティーブン・レズニック氏は、子どもは出生の直後から『顔の印象』を理解することができると述べています。たとえば一度見た人の顔の印象を把握することで、再び出会ったときにも反応することができる……。つまり『認識』して記憶することは、出生してまもない時点で可能だというわけです。

冷静に考えて、両親の顔は覚えるし……。

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その後、言葉を理解し学ぶ能力は、ワーキングメモリ(情報を短時間だけ保持し、処理する能力)の発達とともに生後6ヶ月ごろに身につき、また2歳ごろになると、物事の意味や概念を記憶することができる意味記憶ようになるといいます。つまり、あくまで段階的に獲得されていくものとはいえ、子どもには優れた記憶能力が早い段階で存在するのです。

理性と感情

これまで、人間が幼い頃の記憶を思い出せないのは、たとえば幼い子どもには記憶能力が存在せず、思い出すことができないためだと考えられてきました。しかし、キャロル教授も子どもの記憶能力を認めていることから、その仮説は否定されたといっていいでしょう。

しかしキャロル教授は、記憶能力の存在と『記憶を長期的に保有できること』は別問題だと指摘しています。いわく、記憶には『豊かな感情』もしくは『確かな筋道』がなければならないというのです。すなわち、記憶がもたらす物語の辻褄が合っていること、思い出したときに意味が通ることが重要なのです。

豊かな感情?

記者の場合、生後すぐの弟を、湯の張った洗面器の中で洗っている記憶がある(3歳ごろ)。

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そもそも記憶とは、たいへん複雑なものかもしれません。まして出来事の記憶エピソード記憶であれば、その背景や状況はもちろん、登場するものの概念や意味をすべて理解していなければなりません。壁、木目、リビング、テレビ、『ひょっこりひょうたん島』、弟、お湯、洗面器……。

それは幼い頃の私が、出来事を記憶として『書き込む』ために必要なことです。もちろん記憶を長く保有するには、記憶の『書き込み』が、大人の私にも『読み取る』ことのできる言語で行われていなければなりません。けれども幼い頃の私たちは、多くの場合、おそらく言語以前ともいうべき表現で記憶をつくり出しています。すると言語を学び取った私たちは、その後、そうした記憶にアクセスできなくなってしまうのです。

こうして幼い頃の記憶は失われる

かつての私と現在の私では、世界を認識するための言語がそもそも異なった。

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記憶が物語を欲望する

では、幼い頃の記憶が、じつは事実と大きく異なっていたという場合はどうでしょうか。ある意味、これも幼い頃の記憶が『失われた』ケースのひとつだといえそうです。

たとえば発達心理学者のスティーブン・レズニック氏は、自らと妹が、おもちゃのワゴンとトラクターに乗った記憶がはっきりあったといいます。しかし、そこにはひとつだけ奇妙な点がありました。記憶の中で、彼は乗り物に乗っているのではなく、乗り物に乗っている自分自身の姿を見ていたのです。そのとき彼は、その記憶そのものが本当は存在しないことを悟りました。

スティーブン氏は、自分と妹がワゴンとトラクターに乗っている、そんな古い写真をかつて見たことを思い出しました。もちろん彼は、その写真を見たという事実こそ忘れていたのでしょう。しかし、そこに映っていたものはどこかで覚えていて、それは本人すら知らぬ間に、ゆっくりと『記憶』になっていったのです。『写真を見た』という事実は忘れていた、けれどそこに映っていたもののことは覚えていた。そして、その写真の内容は、本人も知らぬ間にゆっくりと『記憶』になっていったのです。

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このケースの場合、記憶が写真の内容に取って代わられてしまいました。しかし、間違いないと信じていた記憶が実際には間違っていたり、あったと思っていたことが本当は存在しなかったり、ということは決して珍しくありません。キャロル・ピーターソン教授の研究によれば、こうした記憶の『誤り』は、ほぼ例外なく、幼い子どもたちには起こらないといいます。

では、なぜ成長した子どもや大人たちは、誤った情報によって記憶を補ってしまうのでしょうか? キャロル教授いわく、私たちにとって、『記憶』とはこの世界を理解するためのものだといいます。それゆえ記憶には、ときに、実際に覚えているよりも完璧な物語が必要とされるのです。確かな筋道をもつ物語により、記憶が書き換えられることで、世界はより理解しやすくなる、ということでしょうか……。

驚異的記憶力の持ち主でも、誤った記憶を信じてしまいやすいという。

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このことからわかるのは、大人になった私たちには『なんでもないこと』を記憶することができない、という事実です。格別の感動はない、物語としてもさして見どころがない、そんな風景を仮に記憶することができたとしても、それはすぐに書き換えられてしまうでしょう。もっとも一方で、『なんでもないこと』をわざわざ記憶しておく必要はあるのか、という考え方もあるでしょう。もちろん、その問いかけはたしかに合理的で、いかにも大人の発想、という感じがします。しかしそこには、『筋道』と『物語』を過剰に求める性質が、すでに内包されているのです。

REFERENCE:

Why Childhood Memories Disappear

Why Childhood Memories Disappear

http://www.theatlantic.com/health/archive/2015/07/why-childhood-memories-disappear/397502/

「ワーキングメモリ」とは|児童・生徒のワーキングメモリと学習支援

http://home.hiroshima-u.ac.jp/hama8/working_memory.html

記憶 – Wikipedia

http://ja.wikipedia.org/wiki/記憶