現代の科学では治療不可能な病気、人類の寿命では決して到達できない遠い星への航行。このような遠い未来、場所へ向かう時、SF作品ではしばしばコールドスリープという、人体を冷凍することで生命活動を一時的に停止させる手法が用いられます。

コールドスリープというアイディアそのものはアーサー・C・クラーク『2001年宇宙の旅』にも登場しているように60年代末には既に考えられていたものであるにも関わらず、2001年どころかそれから10年以上経った今でも実現はしていません。

SF的なアイディアとして古くからあるものとして、他にタイムマシンや人工知能が挙げられますが、そのような突拍子もないことに比べ、コールドスリープを実現することはさほど難しいことのようには思えません。

決定版 2001年宇宙の旅(1993) アーサー・C. クラーク (著),伊藤 典夫 (翻訳)ハヤカワ文庫SF

ただ体を冷やすだけ。それだけのことなのに、なぜコールドスリープは実現していないのでしょう。

非常に簡単に言えば、原因は極度の低温化に置かれると体内の細胞が破壊されてしまうことにあります。人体の細胞は70%が水であるため、体温が0℃以下になると体内の水分が氷となり体積が膨張し、細胞の外側を覆っている細胞膜を破壊してしまうのです。

凍り豆腐を解凍しても元の豆腐に戻らないのと同じ

とは言っても市販されているような凍り豆腐は乾燥など様々な過程が含まれているが。

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ならば、水が凍ってしまう手前、0℃までであればコールドスリープは可能ではないか、という気がしてくるのですが、脳や心臓といった絶えず活発な活動をする器官は32℃程度の温度に達すると代謝が低下することで細胞内の物質の授受が上手く働かなくなり、結果、やはり細胞が破壊されてしまうのです。

代謝を低下させるためにコールドスリープをするのに、その結果細胞が破壊されてしまう。コールドスリープにはこのような大きな矛盾が含まれているようです。だとしたら、コールドスリープはタイムマシンや人工知能のように実現不可能な夢物語に過ぎないのでしょうか。

しかし、0℃近くまで体温を下げながらも脳や心臓を破壊しない、非常にコールドスリープに近い現象が自然界に存在することが知られています。冬眠です。

冬眠物質

多くの陸生の変温動物は冬眠をすることが知られていますが、恒温動物の中にもリスやネズミ、クマなど、一部の哺乳類のいくつかの種も冬眠をすることがわかっています。

同じ哺乳類、いえ、それどころか生物分類的に同じ科に属しながらも冬眠ができる種と冬眠ができない種がある。この違いは進化論的に考えると非常に興味深い事実です。一見、この事実は冬眠がいかにもそれぞれの種が個別に取得していった能力であることを指すかのように見えますが、だとしたら、全世界各地に存在する生物が寒さに耐えるために同じ『冬眠』という能力の獲得をすることを選択したという事実はさらに奇妙に思えます。

ハイイロショウネズミキツネザル

熱帯に生息しながらも冬眠をする。そもそも、霊長類で冬眠をする種は非常に少ない。

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さておき、冬眠する生物と冬眠をしない生物の違いはどこにあるのでしょうか。多くの学者は冬眠のきっかけになる体内物質、冬眠物質があるのではないかと考えました。

硫化水素

ドイツのフローニンゲン大学のロブ・ヘニング氏は薬理学の教授ですが、麻酔の研究にあたり、恒温動物の冬眠の仕組みに着目した学者の一人です。彼は、硫化水素がこの冬眠物質なのではないか、と推測を立てました。

硫化水素は低濃度で腐乱臭を発する有毒性の気体です。ヘニング氏はどのようにしてこの有毒な気体が冬眠物質であると考えるに至ったのでしょう。

発見は全くの偶然によるものでした。

生体は36~37℃程度に体温を保つことが個体の保存のためには有効ですが、それはエネルギーの供給、代謝が絶えず行われているからです。細胞一つ一つでも代謝を行うことができないわけではないのですが、代謝によって生成された毒性のある物質を排除することができないので、生命にとって都合の良い温度下では、細胞はすぐに腐ってしまいます。そこで、短い間であれば代謝を遅らせるために冷蔵をして保存するのが有効な手段として用いられます。ヘニング氏の研究室でも冷蔵することで細胞を保存しながら研究していたようです。

実際のところ、細胞一つ一つは比較的低温に強い。ヘニング氏の研究室で冷蔵されていたのは心臓や脳など、臓器まるごと、あるいは一部であったと考えられる。

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ここで、一人の学生が失敗を犯します。冷蔵庫の中にハムスターの細胞を入れたのを忘れて一週間も放置してしまったのです

先ほども言ったように、細胞は低温下に長時間置かれると簡単に細胞が破壊されてしまいます。どこの細胞か、どの程度の細胞の固まりだったかはわかりませんが、少なくとも一週間も冷蔵された細胞は確実に、機能しなくなっている、死んだ細胞になっているはずでした。

一週間放置された細胞は腐乱臭を発していました。しかし、それはまだ『生きた』細胞でした。

硫化水素は冬眠物質か

もちろん、この腐乱臭を発していた物質こそが硫化水素です。長期間、低温下に置かれたハムスターの細胞は硫化水素を発し、生き長らえる。このことからヘニング氏は硫化水素が『冬眠物質』であると予測をしたのでした。

硫化水素が冬眠物質であると予測したヘニング氏は、冬眠をしないラットに硫化水素を与え、冬眠をするかどうか実験をしたところ、硫化水素を与えられたラットは代謝、体温ともに低下し、冬眠に似た現象を起こしました。冬眠をしないのであれば、人間にも適応できる可能性は大いにありえます。硫化水素によるコールドスリープは、もしかしたら可能かもしれません。

さて、ところで果たして本当に硫化水素が冬眠物質なのでしょうか。

ある意味ではそうである、と言えるかもしれませんが、そうではない、と言うべきでしょう。というのも、ハムスターは冬眠をしないからです。

ゴールデンハムスター

ドイツではゴールデンハムスターがよく実験動物として使われる。実際、ヘニング氏の研究論文はゴールデンハムスターを利用したものだった。

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冬眠をしない、という言い方はやや適切ではないかもしれませんが、少なくとも、ハムスターの冬眠はシマリスなどに見られる冬眠とは似て非なるものなのです。ハムスターは季節を問わず、温度さえ下げれば『冬眠』をすることが知られていますが、何度も冬眠を起こさせると死ぬことがわかっています。ハムスターの『冬眠』は極度の低温下、栄養不足に置かれた時に自発的に代謝、体温を下げて延命する苦肉の策といえるでしょう。

少なくとも、コールドスリープのために硫化水素を用いるのは少々危険のようです。

かといって、硫化水素が役に立たないただの毒性物質である、というわけではない。近年、神経伝達や細胞内のカルシウムイオンの調節など、生理活性物質として体内の硫化水素の役割が明らかになり脚光を浴びつつある。毒も量を誤らなければ薬となる、ということだろう。

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冬眠特異的タンパク質(HP)

他方、元・三菱化成生命科学研究所主任研究員、近藤宣昭氏はシマリスの生態から冬眠の研究を行いました。

上に述べたように、シマリスの冬眠はハムスターのそれとは少々違ったものとなっています。ハムスターは飢餓状態で冬眠をします。一方シマリスの場合、食物がしっかり与えられた状態でも冬眠が起きますが、代わりに一年中低温下に置かれたとしても冬にしか冬眠をしません。その他、シマリスは冬眠中にアルツハイマー病の時のように脳の凝集が起きていることがあったり、血管内に脂肪や糖が非常に多く含まれているのですが、冬眠中に血管を詰まらせるようなこともなく、冬眠から目覚めた時には脳も血管も元通りに戻ることがわかっています。

このような現象はあたかもシマリスの脳、あるいは血管内が再生、あるいは若返りを起こしたかのように映ります。実際、この考えはさほど間違っているものとはいえないようです。というのも、基本的に同程度のサイズの哺乳類が2~3年の寿命であるにも関わらず、シマリスは7年程度、長ければ11年ほど生きる場合もあり、非常に長寿な生物として知られているからです。

シマリス

『若返り』と言える所以はシマリスの寿命が他の種と比べて三倍近く寿命が長いことにある。冬眠で代謝が停滞していることにより寿命が伸びているとしたら、冬眠時の代謝が全く行われなかったとしてもシマリスは8ヶ月近く冬眠していないとこの寿命の長さは説明できない。

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近藤氏はこれらの冬眠の季節的な周期特徴などからシマリスの冬眠に大きく関わるタンパク質を特定し、冬眠特異的タンパク質(Hibernation-specific Protein、略してHP)と名付けました。

硫化水素と違い、HPはタンパク質です。硫化水素は体内に入ると細胞内のミトコンドリアの働きを抑制しますが、タンパク質となると効果を発揮するには受容体など様々な機構が体内に用意されている必要があります。

では、人間に冬眠は不可能なのでしょうか。そういうわけではなさそうです。人間の体内にもHPと似たタンパク質がいくつも発見されており、HPが冬眠に関わる場所、脳の中でもそれらのタンパク質が見つかっています。人もシマリスほどではなくとも、冬眠の才能を秘めている可能性が非常に高い、というわけです。

不老長寿の可能性

だとすると、人体の中にあるHPと似たタンパク質を増加させ、その機能を活発化させることで、人工冬眠、あるいはコールドスリープを可能とすることができるかもしれません。

しかし、そもそもにしてコールドスリープさえも必要ないのかもしれません。なぜなら、近藤氏の研究によれば、ラットの長寿、つまり『若返り』は脳内のHPさえ高ければたとえ冬眠をしていなくても見られるからです。

この研究を見ると、どうしても不老長寿の可能性を考えざるを得ません。常に脳内に大量のHPがあれば、常に私たちは若返り続け、長い眠りに就くことなしに永遠の生を楽しむことができるのではないか、と夢想をしてしまいます。

死がふたりを分かつことのない永遠に若々しい世界が到来する?

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コールドスリープの可能性を探っていく先に、不老長寿の実現可能性が待っているとは。事実は小説よりも奇なり、と言うべきでしょうか。SFのセンス・オブ・ワンダーを超越するような可能性が私たちの体の中にはまだ眠っているようです。

しかし、不老長寿にもどうやら代償はあるようです。脳内のHPが増加している『若返り』中のシマリスはいわゆる『うつ』のような症状を見せることがわかっています。延々と鬱々とした気分で永遠の生を過ごす……。いつまでも終わることのない厳しい冬を生きるか、たとえ短くても暖かな春の中を生きるのか。なんだか悪趣味な神に二択を迫られているような気分です。

REFERENCE:

冬眠の謎を解く (2010) 近藤 宣昭 (岩波新書)

冬眠の謎を解く (2010) 近藤 宣昭 (岩波新書)

Why Don’t Humans Hibernate? One Doctor Says There Is No Reason We Can’t | Motherboard

http://motherboard.vice.com/read/why-dont-humans-hibernate-one-doctor-says-there-is-no-reason-we-cant

Newly discovered compound could unlock the secrets of human hibernation – ScienceAlert

http://www.sciencealert.com/newly-discovered-compound-could-unlock-the-secrets-of-human-hibernation

Rob Henning | Sulfateq

http://www.sulfateqbv.com/tag/rob-henning/

Talaei, Fatemeh, et al. “The role of endogenous H2S formation in reversible remodeling of lung tissue during hibernation in the Syrian hamster.” The Journal of experimental biology 215.16 (2012): 2912-2919.

http://jeb.biologists.org/content/215/16/2912.full

DOJIN NEWS / Review

http://www.dojindo.co.jp/letterj/146/review/01.html