なぜかこの人とは話が合わない、言いたいことがうまく伝わっていない気がする。でも、本当にそうなのでしょうか? もしかして、あなたとその人のあいだには、話し合うための『前提』がないだけではないでしょうか……。

There is one thing that is poorly understood about arguing in the public arena. It is the reason that a strong case will often lose its momentum and that an obvious logical conclusion will be missed.

対話の生まれる場

私たちの生活には『話し合い』が欠かせません。仕事の打ち合わせや会議、プライベートでの友人や家族との会話……。メールやSNSのやり取りも、そのように呼んでもいいかもしれません。

もちろん、仕事の『話し合い』と家庭の『話し合い』を同列に並べることはできないでしょう。しかし、そのメカニズム自体に大差はなさそうです。いずれの場合も、人と人とが話題を共有し、そこでコミュニケーションを取るという以上のものではありません。

とはいえ、いわゆる『コミュニケーション力』に、どうしようもない個人差があることは否定できないものです。たとえば、生来の得手不得手もあることでしょう。就職活動にコミュニケーション力が求められる今日この頃、小学校の授業にエチュードが導入されるなど、教育現場でも『話し合い』の能力を培う機会は数多く設けられています。それでも、能力の向上には限界があるのかもしれません。

そもそも対話を教えることができるのか?

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話し合いは紛糾し、結論にもたどり着けず、あろうことか互いに傷つけあっただけで終わってしまう……。主張があり、論拠があり、段階を踏んで丁寧におこなわれていたはずのやり取りすら、その風向きが突然に変わることもあります。そんな不毛な『話し合い』を、ときには画面越しに見ることもあるでしょう。

国会中継

とりあえず周りは静かにしよう。

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政治経済まとめ

では、『話し合い』が紛糾するとき、その場所ではなにが起きているのでしょう。そのとき私たちは、どのような状態に陥り、なにを失っているのでしょうか? 

対話を成立させる

アメリカ・クイーンズランド大学でクリティカル・シンキングを教えるピーター・エラートン氏いわく、『話し合い』を紛糾させないための鍵は『論点』にあるといいます。

論点(ろんてん)
議論の中心となる問題点。

もちろん『論点』は、とても議論とは呼べないようなやり取りのなかにもあるものです。すなわち、その話し合いがいかなるものかを一言で説明しうるポイントといってもよいでしょう。たとえば『いじめ問題』についての話し合いならば、それがいじめの善悪についてのものか、責任の所在についてのものかでは、その内容は大きく異なるはずです。

論点が合っていても大変なこともある。

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まずは前提の確認から

しかし私たちは、なんらかの『話し合い』の際、その論点をいちいち確認しません。とはいえ、もしも参加者が話し合いの論点を理解できていなかったならば、それがうまくいかないのも無理はないでしょう。

論点を理解した上で、異なるポジションに立つ。言葉にすれば当たり前のことです。しかし、この当たり前のことが簡単に実現できないのが現実です。たとえば仕事でもないかぎり、『話し合い』の論点があらかじめ示されていることはありません。また、ひとつの話題に異なる主張が持ち込まれただけで、『話し合い』は自然に発生します。とりわけ気をつけなければならないのは、そのようなケースなのかもしれません。

「なんの話だったっけ?」

とりあえず笑ってみたりする。

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それでもわからなくなる

しかし、あらかじめ確認されたはずの論点も、ひょんなことからずれ始めます。それどころか、もともとの話題すらどこかに消えていくことも珍しくはありません。「もともとの話題に関係はある。しかし、これはいま必要な話し合いではない」。そんなふうに思いはじめたころ、『話し合い』はゆるやかに成立しなくなっていきます。

このような現象が起きたとき、原因は十中八九、その話し合いに参加している何者かにあります。なぜなら多くの場合、『話し合い』に参加する者は自らの主張を通そうとするからです。論点を変えるという行為は、『話し合い』を自らに有利なものに変えることに他なりません。

しかし問題は、論点がずれていることに気づかないことにもあります。私たちは『話し合い』の最中、その論点だけに焦点を絞って話しているわけではありません。ある話題について話すとき、私たちは関連する多くの話題の数々を視野に収めつつ、その関係や影響などを考えています。論点を変えた当事者すら、論点が変わったことに気付かないという事態もありうるのです。

話題をそれ単体で考えることはきわめて困難。

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ですから、論点がずれたことに気付いた者は、その話し合いの出発点を指摘して、話の流れをもとに戻す義務があります。もちろん、それはとても難しいことです。複数の話題を視野に収めるという、ときに『話し合い』になくてはならない思考を抑えながら、論点がずれているという事実を、誰もが納得できるように語らなければならないからです。しかし、それができなければ『話し合い』は崩壊してしまいます……。

なぜ『話し合う』のか

いま、私たちはなにについて話し合っているのか? 相手はなにを主張しているのか? それを理解することからしか、『話し合い』をはじめることはできません。いわば、話題を共有することではなく、話題を理解し、そして主張を理解することに意味があるのです。繰り返しますが、これは当たり前のことです。

しかし現実には、私たちの『理解』は、多かれ少なかれ阻まれてしまいます。なぜなら、前述の通り、『話し合い』の参加者は自らの主張を通そうとするからです。そのために彼ら……もとい私たちは、都合の悪いものには蓋をして、自らの立場を守り、防御のために攻撃に転じることもあるでしょう。そこで論点がずれてしまえば、それがいかなる話し合いで、なにが主張されていたのかは、たちまち煙に巻かれてしまいます。

感情的になったら最後

「論点ずれてます」の指摘は火に油。

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このとき起きているのは、いかに主張を通すか、いかに論破するかという戦いにほかなりません。ときに戦略的に、ときに無意識的に論点はずらされ、話題についての理解は分裂し、話し合いはその着地点を失う……。しかし、これはそもそも『話し合い』と呼ぶに値するものでしょうか? まして紛糾の末、声の大きい者や数の多い派閥が一方的にやり取りを終えてしまったら?

しかし本来、そのような事態を避けるためにこそ、『話し合い』という手続きはあるはずなのです。

熟議民主主義

単なる多数決や利益誘導ではなく、自分の意見を明確に述べ、他者の異なる意見にもきちんと耳を傾けることで、その内容を吟味していく。すでに日本でも地域自治体の討論会などに導入されている。

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なぜ、私たちは話し合わなければならないのでしょうか。言うまでもなく、異なる意見を単純に退けずに、あくまで合意を形成するためです。ただ声の大きい者が主導権を握ったり、数の多い派閥がその力で逃げ切るために話し合うのではありません。

これは、仕事の場でもプライベートでも、どんな人にとっても、どんな職業であっても同じことです。もっとも、あなたの意見は突然に切り捨てられるかもしれません。『話し合い』そのものが打ち切られることすらあります。しかし、それでも意見を伝える自由は残されているでしょう。ならば、私たちは諦めるべきではありません。もっとも大切なのは、立ちはだかった壁を前にして、もともと言いたかったことを見失ってしまわないことです。

話を聞かない上司や家族、直接コミュニケーションの取れない政治家にも声を届ける方法はある。

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繰り返しますが、もちろんこれは当たり前のことです。しかし、その当たり前こそ、現実にはもっとも難しいのです。

REFERENCE:

This is why you will lose your argument

This is why you will lose your argument

http://theconversation.com/this-is-why-you-will-lose-your-argument-42679

「熟議民主主義とは何か」 – CIVIL SOCIAL DEMOCRACY

http://lex.juris.hokudai.ac.jp/csdemocracy/ronkou/tamura091110.html

熟議民主主義とは 田村哲樹さんが選ぶ本

http://book.asahi.com/reviews/column/2011102300007.html