突然ですが、あなたはどんな宗教を信仰していますか?たとえば仏教、神道、キリスト教、イスラム教。幸いにも、日本では信教の自由が保証されています。しかし一方で、自分がいかなる宗教を信じているのかわからず、「信じている宗教はありません」と答える人も多いことでしょう。この考え方は、いわば『無宗教』にあたるのかもしれません。しかし、これが『無神論』だったら……。

このたびアメリカで、なにかの信仰を持つ者は『無神論者』について考えるとき『死』を想起する、という報告がなされました。この結果には、個人のもつ『絶対的な信仰』と、未知への恐怖が隠されていたのです。

Now, research suggests one reason why: Thinking about atheists reminds people of death.

信じて洗礼を受ける者は救われるが、信じない者は滅びの宣告を受ける。
―マルコによる福音書 第16章16節

無神論者と死

大ざっぱにいって、『無神論』とは、世界には神の存在や意志が介入していないとする、神を積極的に否定する思想です。これは既存の宗教と対立する考えであり、無神論者である進化生物学者のリチャード・ドーキンス氏は「信仰(証拠に基づかない信念)は世界で最も大きな悪のひとつ」とまで述べています。つまり私たちにも理解しやすい、たとえば「神様なんていない」といったものとはまるで別物をイメージしてください。

リチャード・ドーキンス氏

科学的精神こそが唯一普遍的かつ合理的と述べている。もはやアンチ宗教。

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THE INDEPENDENT

これに対して『無宗教』は、神の存在は肯定する、しかし宗教は信仰しないという立場を指します。すなわち『無神論』と『無宗教』は、一見よく似ているようでいて、その内実が大きく異なるのです。

アメリカでは、無神論者たちの評価はきわめて低いのが現状です。これまでの研究によれば、無神論者には道徳や価値観がない、信頼できない、恐ろしい、非国民、とさんざんな扱いを受けています。日本ではイメージしづらいかもしれませんが、宗教が人々の道徳や倫理をつくっている側面を考えると、無理もないのかもしれません。もっとも、一部の無神論者たちの言動がイメージダウンにつながっている側面は否めませんが……。

価値観をめぐる仮説

それにしても、なぜここまで無神論者のイメージは悪いのでしょうか? ワシントン大学の社会心理学者コーリー・クック氏らは、この疑問にひとつの仮説を立てました。それは「無神論者に信仰を脅かされたとき、人々は『死』を思うのではないか」というものです。

コーリー氏らはその仮説を実証するため、ニューヨーク市立大学スタテンアイランド校にて、236名の学生を対象に調査を実施しました。はじめに学生たちは『死』や『苦痛』についての自らの考えを記すよう求められています。リフレッシュを挟んだのち、彼らは無神論者やクエーカー教徒(もしくはキリスト教徒)への感情を尋ねられました。

ニューヨーク市立大学スタテンアイランド校

参加した学生の65%はキリスト教徒で、残りはイスラム教徒、仏教徒、ユダヤ教徒ほか。

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study in the USA

多くの回答において、学生たちは無神論者をクエーカー教徒(キリスト教徒)よりも低く評価していました。しかも『死』について考えることを求められたとき、無神論者への評価はさらに下がったのです。このとき、クエーカー教徒(キリスト教徒)への評価に変化はみられませんでした。したがって彼らの多くが、無神論者に一定の偏見を抱いていることがわかったのです。

また別の実験では、逆転の発想から「無神論者への考えは、『死』への考えをどのように変化させるか」という調査がされています。参加した200名の学生は、まず『死』か『苦痛』もしくは無神論者について自身の考えを書くよう求められました。その後、彼らはある『穴埋めクイズ』を受けています。たとえば、こんな感じです。

“SK○○L” ○のなかに入る2文字は?

おそらく、日本人でも中学レベルの英語で答えられる問題でしょう。答えは、普通の状態の者ならば“SKILL”(腕前、技術)となるところです。しかし、『死』の考えにとらわれている者は、これを“SKULL”(頭蓋骨、ドクロ)と答えてしまうそうです。1文字違いで大違いです……。

これらのクイズでは、事前に『苦痛』ではなく『死』について記した者のほうが、もちろん『死』を思わせるワードを答えてしまうことが多かったようです。しかし驚くべきことに、無神論者について記した者も、同じくらい多く『死』を思わせるワードを答えてしまったというのです。クック氏は「無神論者について考えることは『死』への考えを導くことが証明された」と話しています。

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世界観の激突

もちろん無神論者たちは、いつも直接的に『死』を語っているような存在ではありません。また、けして死神のようなイメージの人々ではないでしょう。にもかかわらず、彼らについて考えた者は『死』を想起することになりました。一体どうしたことでしょうか?

日頃、私たちの価値観は『死』についての感情と結びついているといわれています。いうまでもなく、私たちが生きて暮らしているその先には『死』があり、それは避けられるものではありません。そこで必要になるのが、私たち個人の『世界観』そして『死』の認識でしょう。この世界にはどんな意味があるのか、自分の役割はなにか、死んだらどこへ行くのか……。それらを構築するために、多くの人は宗教の力を借りています。

いくら日本人が『無宗教』だといってみても、その点で完全に宗教を切り離すことはできません。日本には八百万の神がいるともいわれますが、その文化にはさまざまな宗教が流れ込んでいます。たとえば七五三は神道、結婚は主に神道とキリスト教、クリスマスはキリスト教、先祖代々の墓は儒教……。家によって違いはあるものの、生活レベルですら、こうしたことを無視するのはほとんど不可能です。

お盆にはご先祖様が帰ってくるともいう。

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小鹿野両神観光協会

私たちの世界観には『死』がもれなくくっついていて、その逆もまたしかり。特定への信仰が強い者ほど、その傾向もきっと強いことでしょう。すると人は『死』を思うとき、その恐怖ゆえ、自らの世界観を守ろうとしてしまうのです。

このとき信仰が強い者にとって、無神論者はその世界観を脅かす者となりえます。なぜなら、その『死』の認識や死後のビジョンを、彼らと共有することはできないからです。神はいない、死後の世界はない。このとき無神論者たちは『理解できない者』となり、畏怖の対象にすらなるでしょう。こうして人々は、『無神論者』をひとくくりにして拒絶するのです。

しかし目線を転じてみれば、この問題はなにも『死』や『宗教』に直接結びついた事柄だけに起きることではないでしょう。対象が神であろうがなかろうが、私たちはつねに何かを信じているはずです。それは政治思想にあるかもしれませんし、日々の仕事にあるかもしれません。家族や友人との関係や、ともすればマンガやアニメのなかにもあることでしょう。

何が論争の種になるかわからない。

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©久米田康治・講談社/さよなら絶望先生製作委員会

では、これまで信じてきたものがなにかに脅かされるとき、人はそれを否定せずにいられるでしょうか。自分とは異なる考えをもった者が現れたとき、その『他者』を畏怖の対象にせず、受け入れることはできるのか……。『信仰』がそこかしこにあるとするならば、無神論者が『死』を思わせるのと同じ構造の問題も、同じく身近なところに転がっているはずです。そして、それはもっと広いところにもあてはめられるものでしょう。

「信じる者は救われる」とはよく言ったものだが、『盲目的に信じる』ことは救われることになるのかどうか……。

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REUTERS

REFERENCE:

Atheists Inspire Thoughts of Death in Many Americans

Atheists Inspire Thoughts of Death in Many Americans

http://www.livescience.com/50872-atheists-remind-people-of-death.html

「聖書 新共同訳」マルコによる福音書 Copyright: 日本聖書協会

http://www.yoyoue.jpn.org/bible/mar.htm

アメリカ地域研究 第3回 アメリカ人の宗教観 -vol.2-|授業ルポ|国士舘大学 政経学部

http://www.kokushikan.ac.jp/tagblocks/ReportPSE/news/Cat01/0000001968.html

無神論 – Wikipedia

http://ja.wikipedia.org/wiki/無神論

無宗教 – Wikipedia

http://ja.wikipedia.org/wiki/無宗教

神は妄想である – Wikipedia

http://ja.wikipedia.org/wiki/神は妄想である

世界観 – Wikipedia

http://ja.wikipedia.org/wiki/世界観