
ドナー不足の現代、SNSが『内臓』をめぐる悲壮マーケティングの戦場になり始めている
2015/10/2821:0713,796人。なんの数字かおわかりでしょうか。日本で臓器移植を希望している人の数です(2015年9月末時点)。なかでも腎臓の移植を希望する人はとりわけ多く、なんと12,681人にものぼります。しかし、彼らの希望が叶えられるまでには、とても長い時間がかかります。なぜなら、臓器を提供する張本人、すなわち臓器ドナーがきわめて不足しているためです。
The problem is, there simply aren’t enough donors to meet demand.
臓器ドナーが足りない
この問題は、けして日本だけに限ったことではありません。アメリカでも事態は深刻で、臓器移植希望者のリストには、10分ごとに新しい名前が並ぶといいます。現在、リストの総人数は122,000人以上にもおよびますが、しかし患者のほとんどは、臓器の提供を受けるまでに数ヶ月、長ければ数年という期間をただ待ちつづけることになるのです。また、移植がついに叶わない患者も少なくはありません。1日が終わるまでに、少なくとも22人以上が命を落としているといいます。

アメリカの場合(2015/10/24時点)
左から、臓器移植が必要な人数、今年移植された人数、今年のドナー数。ちなみに、日本では腎臓移植を受けるために10年以上待たなければならないという。
もちろん、この事態を、医師や行政などがだまって見ているわけではありません。多くの州では、問題意識を喚起すべく、運転免許を取得・更新する際に、ドナー登録の意志があるかどうかの確認がおこなわれます。また今年5月には、アメリカ上院で『臓器提供の意識と促進法』が提案されました。まだ可決はされていませんが、この法律は、臓器提供を促進し、また意識を高めるための活動に資金を提供する法律のようです。

臓器提供意思表示カード
日本でも運転免許証の裏面に記載欄がある。
もっとも、過去20年で、臓器ドナーの幅は大きく広がっています。かつては、移植された臓器に、患者の身体が拒否反応を示すリスクのために、患者の家族しかドナーにはなれないと考えられていました。しかし今では、医療技術の進歩により、とりわけ腎臓に関しては、誰でもドナーになれるようになりつつあるようです。
けれども、問題はそう単純ではありません。たとえば日本の場合、国内での臓器移植には保険も適用されるため、経済的負担が少なく済む一方で、前述の通り、その待ち時間は尋常ではありません。もちろん、お金さえあれば海外で移植を受けることができるのですが、その移植費用の高騰ぶりは目を見張るものがあります。

「臓器取引と移植ツーリズムに関するイスタンブール宣言」
2008年に国際移植学会が採択。臓器移植を要する患者の命は自国で救うよう努力すべき、とした。
気の遠くなるような待ち時間を過ごすか、それとも莫大なお金をかけて海外での臓器移植に踏み切るか……。いずれにしても、患者本人やその家族にとっては、非常に厳しい状況だといえるでしょう。そこで近年、彼らは自身の希望を叶えるべく、みずからドナーを探すための活動に乗り出しています。
『臓器』と『物語』の交換
アメリカ・オハイオ州立大学のウェクスナー医療センターは、臓器移植が必要な患者が、ドナーを見つけるためにあらゆる方法を用いている様子を報告しています。
ある男性患者の場合、腎臓移植の希望者リストに掲載されたあと、その妻がFacebookを利用してドナーを求めたといいます。そこには、腎臓の提供を必要とする夫の『物語』がこと細やかに記されていました。その結果、わずか1週間足らずで彼はドナーを見つけることができたのです。腎臓を提供したのは、妻の元同級生でした。
また、ある女性患者は、Facebookだけでなく自身の『車』を使いました。彼女は自身の状況、電話番号、血液型などの詳細を、車の窓いっぱいに記すと、街中を走り回ったのです。残念ながらドナーはまだ見つかっていませんが、彼女は問い合わせの電話をすでに数十件受けています。また、その活動は人々への意識喚起にもなっているのです。

車の窓にメッセージ
とても地道な活動である。
臓器提供をめぐる状況がシビアになる一方、ときに患者たちは自らの『物語』を使いながら、草の根運動的に、FacebookなどのSNSを通して、ドナーを探す活動をつづけています。インターネットやSNSの普及により、ネットワークを介した『人のつながり』を活用できるようになった……。これはきわめて現代的な手段であり、かつては実現しえなかった方法です。
しかし、あえて意地悪な見方をしてみましょう。この方法は、患者が、自らの『物語』によって、数少ない臓器ドナーを自身に引き寄せようとする行為です。言い換えれば、その境遇に『共感』してもらう仕組みをいかにつくりあげるか、ということであり、そこで起きているのは経済に依らない競争にほかなりません。しかし、その行為を否定・批判することはできません。なぜなら、ほかでもない患者自身がその手段を選択していること、選択せざるを得ないことは、彼らをとりまく状況のシビアさをそのまま表しているからです。

新自由主義
政府による規制の最小化と、自由競争を重んじる考え方。患者自身がSNSでドナーを探す、という動きそのものが、すでに新自由主義的な状況を反映しているかもしれない。いずれにしても過酷である。
では、この状況をどのように受け止めるべきでしょうか。ウェクスナー医療センターの医師は「多くの患者が『物語』を共有することで、多くの人々がドナーの必要性を学ぶことができる」と好意的に評価しているようです。しかし、この状況がより進んだところにあるのは、『共感』しやすい患者には移植の機会がより多く与えられ、『共感』しどころの少ない患者は順番を待つしかない、という事態ではないでしょうか。そして、この『競争』が当たり前になったとき、リストで順番を待つというシステムはいかに機能するのか……。
しかし一方で、SNSを利用することで患者が主体的に行動できることは、何をおいても良いことだ、というのもまた事実でしょう。いま、真に理想的なのは、ただ順番を待つという選択も、莫大な金額を支払って移植を受けるという選択も、『物語』によってドナーを探すという選択も、すべてが等しく機能する状況なのかもしれません。
Facing Organ Donor Shortage, Patients Forced to Get Creative
Facing Organ Donor Shortage, Patients Forced to Get Creative
http://www.livescience.com/52526-rarity-of-organ-donations-forcing-patients-to-get-creative.html
米の臓器移植 カネの力で優先させる日本人対策で費用が上昇
Organ Procurement and Transplantation Network
(公社)日本臓器移植ネットワーク