私たちは誰もが夢を見ます。夢というものは不思議なもので、目が覚めればそれが夢だったとわかるのに、夢を見ている時はそれがあたかも現実のもののように感じられます。一応、夢を夢として自覚している明晰夢というものもあるにはありますが、明晰夢という言葉が存在していることが、『夢』という言葉そのものに現実と区別がつかないものという意味が込められている証拠ともいえるでしょう。

夢とは一体なんなのでしょう。パズルのピースのようにバラバラにされた記憶が、あべこべに組み立てられたものなのでしょうか。それともジークムント・フロイトが言うように、抑圧されていた願望を充足するために生まれた幻覚、想像なのでしょうか。

どちらにせよ、そのような現実と区別が付かないような夢を想像あるいは創造することができるのは、複雑で巨大な脳を持った生物、人間にしかできないことのように思えます。しかし、人間より遥かに脳が単純な生物、ラットでさえも夢は見るようです。それも、私たちが想像するよりも遥かに『現実的』な夢を見ているようです。

ロンドン大学の研究により、ラットは自分の行きたい場所の夢を見ることが明らかになりました。

しかし一体、どのようにしてラットが自分の行きたい場所の夢を見たということを確認したのでしょう。『スチュアート・リトル』でもあるまいし、さすがにラットから口頭で話を聞くわけにもいかないでしょう。それとも『インセプション』のようにラットの夢を覗きこんだのでしょうか。そんなバカな、という気はしますが、どうやら実験では実際にラットの夢を覗き見ているようです

スチュアート・リトル

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インセプション

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さて、そのようなことが本当に可能なのでしょうか。そもそも『自分の行きたい場所』とはどういうことなのか。それを理解するためには海馬の中にある不思議な神経細胞、場所細胞について知る必要があるようです。

場所細胞

私たちは『ある場所』にいるということを、どのように認識しているでしょう。視覚で、聴覚で、あるいは嗅覚で判断し、自分の記憶と照らしあわせて『この場所にいる』と考えているのでしょうか。

ドイツの哲学者、イマヌエル・カントはむしろ空間を直観する能力こそがアプリオリ(経験によらない=先天的)に持っている感性であり、目で見て耳で聴いて、という認識は空間の直観から形式化されるものだと考えました。なんだかよくわからないですが、視覚や聴覚の前に何かがあるという考え方はなんとなく脳科学的に解明できそうな話に思えます。

そこで神経科学者のジョン・オキーフ氏はカントの考えを基に、脳の中に『空間を認識する部位』が存在するのではないかと考えました。これを証明するため、オキーフ氏はラットの海馬に微小な電極を入れ、ラットが四角い箱の中を動き回っている時の海馬ニューロンの動きを電気的に記録し調べました。

すると、ラットが箱の北東角にいたとしたら北東角ニューロンが、南西角にいたとしたら南西角ニューロンが、真ん中にいたとしたら真ん中ニューロンが、といったように、ラットがいる場所によってそれぞれ固有のニューロンが発火していることがわかったのです

場所細胞に関する補足。視覚によって場所を認識しているだけでは? という疑問も浮かぶかもしれないが真っ暗な箱の中でも場所細胞はきちんと発火することがわかっている。かといってカントが正しかったとも言い切れない。もしかしてラットは歩数で自分の場所を認識しているのかもしれない。だが、どのような感覚を利用していようといなかろうと、『場所』を認識する脳の部位があることはたしかなようだ。

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オキーフ氏はこの、場所に対応して発火する細胞を場所細胞と名付けました。

この場所細胞はまるで脳が自分で地図を作っているようにも思える不思議な存在です。場所の認識に関することは他にも様々なことがわかっており、海馬から発せられる脳波、シータ波と場所細胞の発火のタイミングからたとえば隣接する場所細胞A,B,C,D,Eの相対的な位置関係が、つまりそれぞれの場所のつながりが脳の中で表現されていることや、海馬に信号を送る嗅内皮質でも場所細胞のようなものがあることが発見され、しかもそれが格子の交点のように等間隔移動するごとに発火していることが実験により明らかになっています。

格子細胞の発火頻度を表した図。

60度ずつ、等間隔に格子細胞が発火しているのが見て取れる

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Torkel Hafting

これらの一連の発見などの功績によって、オキーフ氏とその弟子、エドヴァルト・モーザー氏とマイブリット・モーザー氏の三名は2014年にノーベル生理学・医学賞を受賞しています。

実験

場所細胞という脳の中の地図のようなものがある、ということを理解した上で、今回の実験に戻ろうと思います。実験では場所細胞の時と同じく海馬に微小電極を埋め込んだラットを利用します。

まず、T字の箱を用意して、Tの下端にあたる部分にラットを、右上端にあたる部分にラットのエサを入れます。ただし、ラットがエサを取れないようにTの縦と横の接合部分を、たとえば透明なプラスチックや格子によってふさいでしまいます。これによってラットは『エサの場所はわかるのだけれど取りに行くことができない』状態になります。

次に、ラットを箱から取り出し、少しの睡眠を取らせます。眠っている間にもラットの海馬内では場所細胞が発火しています。この時に発火している場所細胞を場所細胞Aとします。

エサと格子を取り除き、ラットの目を覚ましてから再び箱の中に入れます。するとラットはエサがないにも関わらずT字の右上端、つまり元々はエサがあった場所に向かいました。そして、T字の右上端にいる時にラットの海馬内で発火していた場所細胞は、睡眠中に発火していたものと同じ、場所細胞Aでした。つまり、ラットは夢の中で自分のこれから行こうとしていた場所へ行っていた、あるいは、眠る前に行くことができなかった場所へ夢の中で行っていたのです。

なぜエサを取り除いた?

実験を見るとわざわざラットのエサを取り除く必要はないようにも思える。しかしエサがあった場合では『エサのある場所』という条件で場所細胞Aが発火するのか『T字の右上端という場所』という条件で場所細胞Aが発火するのかはわからない。エサを取り除くことでラットがエサの有無に関わらず空間にのみひも付けされた『場所』の夢を見ていたことがわかる。

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夢と現実

この実験結果から面白い事実を見出すことができます。たとえば、私たちは何かを『見た』とどのように認識しているでしょう。目という感覚器官に光が入り、それが電気信号へと変わり、脳へと到達しさまざまな信号処理が起き、そこで『見た』と認識されるに至ります。網膜に光が届いたとしても、それが脳まで届かなくては『見た』と認識することはできないのです。

逆にいえば、それが技術的に可能であるかはともかく、脳に何か、たとえばエサの画像を直接、電気信号に変えて送ることができれば、私たちはその時エサを実際に『見る』ことができます。

同様に、夢を見ている最中に『場所Aにいる』という場所細胞が発火していたら、脳は『実際に場所Aにいる』と認識していることになります。つまり、少なくとも場所に関わる認識に限れば夢は現実と区別が付かないのではなく、夢は現実と全く同じ認識をしているのです。あるいは、認識することでしか世界と関わることができないという考えと合わせれば、夢が夢から覚めるまでの間はたしかにそれは現実である、と言い換えられるでしょう。

では、はたして今、私たちが生きているここは現実なのでしょうか、夢なのでしょうか。もしかしたら、今、『ここにいる』と思っている現実は、胡蝶の見ている夢なのかもしれません。

REFERENCE:

Rats dream about the places they wish to go – life – 26 June 2015 – New Scientist

Rats dream about the places they wish to go – life – 26 June 2015 – New Scientist

http://www.newscientist.com/article/dn27788-rats-dream-about-the-places-they-wish-to-go.html?cmpid=RSS

Hippocampal place cells construct reward related sequences through unexplored space | eLife

http://elifesciences.org/content/4/e06063

ジークムント・フロイト – Wikipedia

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%83%A0%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%AD%E3%82%A4%E3%83%88

本年度のノーベル生理学・医学賞の解説 | 神経科学学会

http://www.jnss.org/141031-03/

《子供たちに聞かせてあげたいノーベル賞 2014》2014 年ノーベル生理学医学賞 脳の中で、自分が今どこにいるのかを把握し海馬でマップを作成する複数の空間把握細胞の発見

http://www.nikkyoko.net/nobel/medical2014.pdf

高橋 晋,櫻井 芳雄 場所細胞(2014)

http://bsd.neuroinf.jp/wiki/%E5%A0%B4%E6%89%80%E7%B4%B0%E8%83%9E

特集:海馬におけるシータリズムに協調した神経活動と記憶形成 – 理研BSIニュース No. 22(2003年11月号)- 独立行政法人 理化学研究所 脳科学総合研究センター(理研BSI)

http://www.brain.riken.jp/bsi-news/bsinews22/no22/special.html

Save, Etienne, et al. “Spatial firing of hippocampal place cells in blind rats.” The Journal of Neuroscience 18.5 (1998): 1818-1826.

http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/9465006