現代ではタブーとされているカニバリズム(人食い)ですが、過去の人類ではそれが当たり前に起きている可能性が出てきました。

先日、南イングランドで発見された約一万五千年前の原始人の頭蓋骨の歯型から、原始人がカニバリズムを行っていた可能性があるという論文が発表されました。

We identify extensive evidence for defleshing, disarticulation, chewing, crushing of spongy bone, and the cracking of bones to extract marrow. The presence of human tooth marks on many of the postcranial bones provides incontrovertible evidence for cannibalism.

同種の仲間を食べる、というのは現代の法律でいえば生きていれば殺人罪、死んでいたとしても死体損壊等罪にあたりますし、人道的、倫理的観点から、あるいは直感的に気持ちが悪いことのように思えます。この原始人の行為は人間よりも野蛮な動物に近く映ります。

しかし実際のところ、どうなのでしょう。動物は人間と違い共食いも平気で行う野蛮な生き物なのでしょうか。

食人は文化?

ホッキョクグマは近年、同種の子供を食べるのを観測されています。これは明らかな共食いです。
チンパンジーやライオンも群れの子供を殺し食べることが多くあります。これも明らかな共食いでしょう。
しかしホッキョクグマが同種を食べるのは温暖化の影響で普段、食糧としていたアザラシが減っていることが原因といわれていますし、チンパンジーやライオンも他の群れの子供を殺すことが目的で食べるのは副次的な行為にすぎないという見解がなされています。そのように見てみると同種を食べるというのは人間だけが持つ行為のようにも思えます。

ホッキョクグマ

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ライオン

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しかし、この原始人がやむを得ない状況にあったという可能性だって考えられます。現代であろうと、1972年に旅客機が雪山で遭難し食べ物に困った乗客達が死んだ友人を食べたというエピソードが映画『アンデスの聖餐』を通じてよく知られています。そのような生命の危機に瀕する状況にこの原始人がおかれていた、ということだってありえます。

しかし今回のニュースの驚くべきところは発見された頭蓋骨は水を飲むコップなどに使われていたらしい、ということです。ますます気味の悪い話ですが、少なくとも動物はこんなことはしないでしょう。そう考えると人肉を食べる、あるいは死んだ骨を利用するという行為は非常に『人間的』で『文明的』なことなのかもしれません。

コップに使われていたという頭蓋骨

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©the Natural History Museum

死者を悼むのは人だけではない

そんなことはありえないと思うでしょうか。死体を道具として利用する、あるいは食肉として利用するなんていうことは野蛮で非倫理的なことに思えるでしょうか。

たしかに死んだ人の頭蓋骨を道具にすることは死者への冒涜のように見えます。人間は死を認識しており、人が死んだら葬式をあげて弔いをします。この原始人のしていることはそういった死者への敬意が欠けていて、死に対して無頓着すぎるように思えます。そのように考えると死というものを認識しているということが人間らしい文明的な思考であると考えられないでしょうか。

しかし死を認識する生命は人間だけではありません。

たとえばゼブラフィッシュなどは死体を感知する嗅覚を持っていて、死体が近くにあるとそこから遠ざかろうとすることが知られています。たしかに、死体が近くにある場所というのは自らもそのような状況に置かれる可能性がある危険な場所で、そこから離れようとするのは当たり前といえば当たり前の話です。ずいぶんと本能的な話ですが死体から遠ざかろうとするという点では人間と大差ありません。

ゼブラフィッシュ

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人間と手話をすることができるゴリラの『ココ』はかつて人間と手話によって死の概念について話をしました。ココはゴリラがいつ死ぬのかという問いにきちんと答え、死んだらどこへ行くのかという質問に対して「苦労のない 穴へ さようなら」という返答をしたといわれています。また、ココは家族のように接していた子猫の『ボール』が交通事故によって亡くなった時、『悲しい』などの手話をし哀悼の意を示したこともあるそうで、このエピソードは死者を悼む心は人間だけに与えられたものではないことを示しているように見えます。

ゴリラのココ

ココは言語で死というものを認識しているらしい。

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もっと人間に近い種族の話をしましょう。ヒト属にあたるネアンデルタール人は死んだ仲間に対して献花を行う文化があり、文字を持たないながら非常に文明的な生物種でした。しかしネアンデルタール人が絶滅したのは紀元前二万五千年あたりといわれており、今回の原始人とは一万年近い年代のギャップがあります。つまり今の人類から見て今回の原始人よりも一万年以上前に絶滅したネアンデルタール人の方が倫理的で文明的な存在に見えるわけです。そう考えると文明的であるとは一体どういうことなのか少しわからなくなってきます。

そもそもネアンデルタール人に死者を悼む気持ちがあるのだから、それより一万年以上後に生まれた今回の原始人が悼む気持ちがなかったとは考えづらいです。だとすると、彼の頭蓋骨をコップに利用するという行為は死者を悼む儀式の一つであったと考えられはしないでしょうか

それほど突拍子もない考え方ではありません。オーストラリアの先住民アボリジニは死者を一度埋葬した後、再びその死体を掘り起こし焼いた肉を食べるという風習があります。現在はクル病などの危険性から禁止をされているようですが、つい最近まで死者ではありますが食肉の風習は残っていたわけですし、愛する人とずっと側にいたいという考えに基づけば死者の骨を身近なものとして再利用するという考えも理解できないこともないでしょう。そのように考えてみるともしかしたら死者を埋葬し自分たちから離れた場所に置くという態度の方が死者への冒涜であり野蛮な行為であるといえるかもしれません。

食肉も追悼の一つ?

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命あるものはいつか必ず死にます。人間の歴史、あるいはあらゆる生命の歴史は死者への態度の取り方と共にあったといえます。現代に生きる私たちのほとんどは既存の宗教に基づき葬儀を行いますが、宗教が一つでないように葬儀の方法、死者への態度の取り方も一つではなく絶対的に正しいというものはありません。ならば彼の行為にも一つの正しさがあるともいえるでしょう。私たちはこの先人の行為を受け止め死というものについてもう一度ふりかえってみるべきなのかもしれません。

REFERENCE:

共食い – Wikipedia

共食い – Wikipedia

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%B1%E9%A3%9F%E3%81%84

High-affinity olfactory receptor for the death-associated odor cadaverine

http://www.pnas.org/content/110/48/19579.abstract

アボリジニの死生観 – るいネット

http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=239794

ネアンデルタール人 – Wikipedia

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8D%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%87%E3%83%AB%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%AB%E4%BA%BA