『オーストラリア訛り』といわれて、すぐにその話し方をイメージできる人がどれくらいいるでしょうか。日本語の訛り方ならまだしも、英語の訛り方について考えてみるのは、ちょっとハードルが高そうです。まずは、実際に聞いていただくのが早いかもしれません。

How to speak Australian : Abbreviate Everything

ちょっと大げさに訛っている気もするが……。

Let’s get things straight about the origins of the Australian accent. Aussie-speak developed in the early days of colonial settlement from a cocktail of English, Irish, Aboriginal and German – before another mystery influence was slipped into the mix.

酔っぱらいの入植者

オーストラリア・ビクトリア大学でコミュニケーションについて教えている、ディーン・フレンケル教授は、オーストラリア人の訛り方について警鐘を鳴らす者のひとりです。彼は、その訛りの起源は『お酒』にあると主張しています。しかし、『訛り』を考えるときに切り離せないのは、オーストラリアという国がいかなる歴史の上に生まれたかということです。

1770年、スコットランド人のジェームズ・クックが上陸したことから、他国よりオーストラリアへの入植がはじまりました。アメリカ独立後の1788年からはイギリス人の『流罪植民地』とされており、実際に初期の移民団1,030人中736人は囚人で、残りの多くは貧困層だったようです。そのあとも多くの囚人や自由移民が送り込まれ、1828年にはオーストラリア全土がイギリスの植民地となりました。

先住民のアボリジニが殺害され、土地を奪われることもあった。

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今でもオーストラリア人が酒好きだといわれる理由に、かつて流刑囚が多かったから、本国から離れているために酒に溺れやすかったから、という説が挙げられることがあります。ディーン教授は、そうした先祖たちが酔っ払いながら話した言葉が、やがて『訛り』になり、ついには親から子へと教えられるようになってしまったのだ、と述べています。

【子音の変化するパターン】
(例)
important→impordant  Australia→Austraya  yes→yesh

【母音の変化するパターン】
(例)
standing→stending  New South Wales→New South Wyles  night→noight

もちろん教授の主張はあくまで一説であり、ほかにも英語とアボリジニの言語が混ざったものとする説、アイルランド英語とイギリス英語が混じったものとする説などが存在するようです。

オーストラリア訛りは、唇や歯、喉などの調音器官の機能を3分の2しか使っていない、とディーン教授は述べている。

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『レトリック』のない国?

もっともディーン教授は、訛りの起源よりも、その訛りによってコミュニケーションの機会や方法が失われていることを危惧しています。現に、多くの学者がその訛りのせいで自身の言葉をうまく伝えることができていないというのです。最新の取り組みによって改善されつつあるものの、『訛り』と『学び』が結びついていないことが最大の問題なのだと教授は述べています。

言語表現と教育

ディーン教授いわく、一般的な教育は3つの『R』、すなわち読むこと(reading)、書くこと(writing)、算術(arithmetic)だといいます。しかし、オーストラリアの教育には4つ目の『R』、レトリック(rhetoric)がないというのです。

レトリック(rhetoric)

修辞学。いわば『演説の技術』で、言語学や詩学、さらに身ぶりや発声法も含む。中世には教養の中核とされていたが衰退し、現代では広く言語表現を磨く技術として理解されることが多い。

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教授は『レトリック』を、言い回し・伝達・話し方、の3本柱で説明しています。『言い回し』とは、意図を正確に表現すること、自身と対話すること、言葉による効率性であり、これには『あえて言わない』という表現も含まれるようです。『伝達』とは、他者と社会的につながること、情報をいかに伝え、問題をいかに解決するかということであり、『話し方』はその手段としてあるものだといえるでしょう。

ディーン教授は、レトリックがうまく使われていれば、聴きやすく、音量としてもバランスが取れたものとなり、流暢かつ明瞭に、きちんと選ばれた言葉によってやり取りが行われることになるといいます。すなわち、理想のレトリックとオーストラリア訛りは両立しない、というのが教授の主張です。

現在のオーストラリアでは、レトリックは一部の学校で非必修科目として教えられており、明らかな軽視を受けています。これは近年の言語学で、スピーチ能力がさほど問題とされていないことも一因かもしれません。しかしアメリカでは、レトリックが非常に重要視されており、教授は「その結果として、オーストラリア人のコミュニケーション・スキルはアメリカ人に遠く及ばない」と述べています。

ディーン・フレンケル教授

「社会のあらゆる局面でコミュニケーション不足は明らかであり、オーストラリアの年間コストは数十億ドルにも達する」

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『訛り』が伝えるもの

もっともオーストラリアにおいて、アボリジニたちは独自の『レトリック』を大切にしてきました。これまで彼らは、生きていくための情報や伝統文化に関する知識、社会的な結びつきを、彼らの言葉によって伝えてきたのです。つい最近までアボリジニたちは、固有の言語と知識をもとに、いわば聴覚優位の社会を生きてきました。今でもアボリジニの『語り部』からは、彼らなりのコミュニケーション・スキルと、その文化のありようを聞くことができるといいます。

こうしたことからも、ディーン教授は『話しことば』を重要視しており、オーストラリア人にはレトリックが重要なのだというのです。また、教授は、「話しことばの軽視は西洋中心の考え方によるものであり、ここでは西洋文明が過大評価され、話しことばやアボリジニの知識が過小評価されている」と述べていますが……ここで教授の主張は大きな壁に激突しているという気がしてなりません。

『書きことば』の台頭

『話しことば』が約10万年にわたり人間のコミュニケーションの方法となってきたのに対して、『書きことば』は約5,500年前に発明されたものにすぎない、と教授は主張する。

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そもそも『話しことば』を重要視し、アボリジニたちの文化や知識を伝えてきた彼ら独自の『レトリック』を尊びながら、なぜオーストラリアの歴史に直結している(と教授本人がいう)『オーストラリア訛り』を否定することになるのでしょうか。なぜ『話しことば』の軽視は西洋中心の考え方だとしながら、同時にアメリカの教育における『レトリック』のポジションを挙げて、その重要性を主張することになっているのでしょうか。ここには、奇妙なねじれが起きています。

『話しことば』が重要である。この前提に立ったとき、優れたコミュニケーションのために訛りを直すのか、それとも言葉に埋め込まれた歴史や文化を尊ぶために訛りを残すのか……。しかし訛りを消し去ることは、その起源にかかわらず、ある歴史の一部を見えないものにしてしまいます。大きな動きのなかで、ある効率性や利便性のために、そこに以前からあったものを押しつぶしてしまうこと。それは、オーストラリアという国でかつて起こったことでもあるはずです。

より優れたコミュニケーションの達成と、歴史や文化の存続のために、『ことば』をどのように残していくのか。本当に考えられるべきは、訛りを残すか消し去るかではなく、両方の可能性を鑑みた、第三の道なのかもしれません。

REFERENCE:

Australia, we need to talk about the way we speak

Australia, we need to talk about the way we speak

http://www.theage.com.au/comment/the-fourth-r-missing-from-australian-education-20151025-gkhv8k.html

オーストラリア研究:宮崎里司研究室 GSJAL日研-早稲田大学大学院日本語教育研究科

http://www.gsjal.jp/miyazaki/ogqanda.html

オーストラリア – Wikipedia

http://ja.wikipedia.org/wiki/オーストラリア

調音部位 – Wikipedia

http://ja.wikipedia.org/wiki/調音部位

修辞学 – Wikipedia

http://ja.wikipedia.org/wiki/修辞学