人間の手で行われたとは到底思えない、目を覆いたくなるような凄惨な事件。しかし、画面に映っている犯人はどう見ても私たちと同じ人間で、どの口から出たのかわからないような謝罪の言葉を述べている。犯人は『人間』でしょうか、それとも『悪魔』でしょうか? もしもあなたが、事件の裁判員に選ばれたとしたら、あなたはその犯人にどんな刑罰を望むでしょうか……。

Our belief in whether someone can be pure evil influences our feelings about capital punishment, researchers have found.
Researchers found those who believed were far more likely to support sentences for criminals like the death penalty and life imprisonment.

とある研究報告

カンザス大学のドナルド・ソーシエ氏らが行った実験は、ある殺人事件の犯人が自らの罪をすべて白状した場合、その内容を聞いた者は犯人にどんな刑罰を求めるか、というものでした。実験に参加したのは約200人で、彼らは事件について聞かされたあと、以下の刑罰のうち、犯人に最もふさわしいのはどれか尋ねられています。

・ボランティア活動付きの服役
・無期懲役
・終身刑
・その他

ドナルド氏は参加者の回答を受けて、「彼らは殺人者を『悪魔』だと感じていて、罪の報いを受けるべきだと感じていた」と述べました。そこで彼は、その殺人者の人物像を2パターンつくり、同じ質問をしています。

一方の殺人者には、いわゆる『悪魔』のステレオタイプを思い起こさせる人物像が与えられました。たとえば、その人物はオカルト愛好者で、近所の子供たちに暴言を吐き、全身黒ずくめ……。かたや、もう一方の殺人者は、そういったものとはかけ離れた人物像です。たとえば物静かで、家族がいて、キャンプを好む、いわば『よき親』のイメージでしょうか。

ジェイソン

キャンプ好きの殺人鬼といえば。

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あみあみ

異なる人物像を持つ、ふたりの殺人者について聞かされた人々は、『悪魔』のステレオタイプに近い者により重い罰を与えることを求めたといいます。しかし、事件について聞いた者が『純粋な悪』というものを信じていた場合、彼らは殺人者の人物像に関係なく、死刑や終身刑を支持する傾向にあったといいます。

この結果は、陪審員や裁判官が犯罪者に対して刑罰をどのように命じているか、その説明のひとつになりうるものです。ドナルド氏は「『純粋な悪』を信じる心は、有罪判決を引き出すことこそないだろうが、陪審員による宣告には影響を与えうる」と述べています。

裁判員による死刑判決(日本)

のちに裁判官によって棄却されることもある。

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徒然地獄編集日記OVER DRIVE

この研究は、『悪』の擬人化が可能かどうか、人は『悪』の完全更生を認知できるかどうかを測定するために行われました。そこでは、『純粋な悪』の存在を信じている人々は、『純粋な悪』の排除こそが唯一の問題解決であると考えている、という報告がなされています。

しかし、ひとつの疑問が生じてきます。ここで信じられている『純粋な悪』とは何なのか、ということです。

『純粋な悪』

ある人物を、私たちが『悪人』であると判断するとき、その人物が取った行動が根拠になることが多いでしょう。殺人事件のニュースを見て「犯人はとんでもない人間だ、まるで悪魔のようだ」と思うとき、たとえばその人間の好物や仕事を主な判断材料にすることはありません。つまり多くの場合、『悪人』かどうかは結果から判断せざるを得ないのです。

そこで『純粋な悪』を信じる、ということは、その人物が悪行の以前より『悪人』であったと考えることです。『純粋』とはいくつもの解釈が可能ですが、たとえば『純粋な悪』を『生まれながらの悪』や『悪を自覚している悪』と言い換えることはできるでしょう。しかし、果たして『生まれながらの悪』などというものは存在するのでしょうか。

『悪』の自覚

2001年に発生した附属池田小事件の犯人・宅間守は、自己の異常性を自覚していたといわれる。

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せいぜんせつ【性善説】
人間は善を行うべき道徳的本性を先天的に具有しており,悪の行為はその本性を汚損・隠蔽することから起こるとする説。

せいあくせつ【性悪説】
人間の本性を利己的欲望とみて,善の行為は後天的習得によってのみ可能とする説。

※ともに「大辞林 第三版」

よく言われる「人の本性は善だから信じるべき」「人の本性は悪だから疑うべき」という理解は、実は誤りです。性善説を唱えた孟子と、性悪説を唱えた荀子は、真逆の価値観を訴えつつ、ともに『悪』に手を染めないための教育を重要視していました。この考え方に則するならば、性悪説の場合、すべての人間は『生まれながらの悪』になってしまいます。

人間はあとから『悪』を学ぶ?

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前述の実験を行ったドナルド・ソーシエ氏は、興味深い研究結果を報告しています。彼は「『純粋な悪』を信じる心は、宗教よりも人生経験に影響される傾向がある」と述べており、宗教的教育や『純粋な善』といった発想ではなく、「人生におけるトラウマや虐待、成功体験で考え方は変わる」というのです。

善悪表裏一体

人生経験で『悪』を学ぶ者がいれば、かたや『純粋な悪』が存在すると信じる者がいる。しかもその考えは、その後も変わる可能性がある。

こうなると、ナイフを握るのも死刑執行に賛同するのも、学び取った『自らの正義』に則っているという点では同じで、その『正義』が社会の仕組みに適合しているかどうか、ということになってしまうのかもしれません。殺す、も殺しを憎む、も表裏一体で、自分がその境界線を跨いでいないのはただの偶然……というと、言い過ぎでしょうか。

『正義』のために排除せよ!

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夜歩く

ところが私たちは、不思議なことに「まさか殺す側には回るまい」と思い込んでしまう『純粋さ』の持ち主です。たとえば凶悪事件のニュースを見ては巻き込まれる恐怖を想像し、少年犯罪が起きれば「子供の同級生にこんな子がいないとも限らない」と考えることこそあっても、「ある日、自分が殺すかもしれない」「明日、自分の子供が犯罪に手を染めるかもしれない」とはなかなか考えません。

殺すことを是とする『悪』も、また『純粋な悪』を信じる心も生きていくなかで学び取られていく。それが本当なら、私たちの多くは『悪』を学び取らずに済んだ、ということになります。では、そんな私たちは、「殺すな」ということをどのように教えることができるのでしょうか……。

REFERENCE:

Do you believe in pure evil? Researchers say our views can decide whether we back the death penalty for criminals

Do you believe in pure evil? Researchers say our views can decide whether we back the death penalty for criminals

http://www.dailymail.co.uk/sciencetech/article-3083905/Do-believe-pure-evil-Researchers-say-views-decide-death-penalty-criminals.html

性善説(せいぜんせつ)とは – コトバンク

http://kotobank.jp/word/%E6%80%A7%E5%96%84%E8%AA%AC-86121

性悪説(せいあくせつ)とは – コトバンク

http://kotobank.jp/word/%E6%80%A7%E6%82%AA%E8%AA%AC-85471

性善説と性悪説のよくある誤解、他

http://park5.wakwak.com/~tanaka02b/zakki/log14.htm

裁判員の死刑、破棄を支持=東京・千葉の1人強殺―二審の無期懲役確定へ・最高裁

http://news.yahoo.co.jp/pickup/6148477

附属池田小事件 – Wikipedia

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%84%E5%B1%9E%E6%B1%A0%E7%94%B0%E5%B0%8F%E4%BA%8B%E4%BB%B6