いまや、仕事や趣味のために外国語を新たに学ぼうという人は少なくありません。新しい言語を学ぶということは、自分がこれまで関わることのできなかった『未知の世界』に関わろう、ということです。しかし、新たに外国語を学んだところで、その言葉に引きずられて母国語が訛ってしまうということはなかなかありません……。

『外国語様アクセント症候群』という症状があります。患者はある日突然、これまで普通に話せていたはずの母国語に『外国語訛り』を生じてしまうのです。

A little-known condition causes people to adopt a new accent – and lose a part of their identity in the process,

イギリスで美容院を営むジュリー・マティアスさんがイギリス英語のアクセントで話せなくなったのは、今から4年前の2011年のことでした。生まれてからずっとイギリスで暮らしてきた彼女は、流暢に話すことのできる一方で、なぜかフランス語・中国語訛りを身につけてしまったのです。

ジュリー・マティアスさん

「お客さんが、まるで私が英語を理解していないかのように話しはじめた」

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ジュリーさんは、医師によって『外国語様アクセント症候群』と診断されましたが、ついにその原因が明らかになることはありませんでした。しかし、彼女自身は交通事故がその原因であると考えています。事故のあと、目もくらむような偏頭痛と身体中の痛みを訴えてから数ヶ月後、彼女の『話し言葉』に変化が生じたのでした。

外国語様アクセント症候群
患者が外国語訛りのように聞こえる話しぶりを身につける、珍しい医学的症状。1907年に初めて報告されて以降、現在までに60以上の症例が報告されている。あくまで『訛りのように聞こえる』もので、特定の外国語訛りや他の外国語を新しく身に付けるものではない。

アクセントとイントネーション

私たちは、自らの発話に『メロディ』と『リズム』を持っており、それを支えるのは、アクセント・イントネーション・ストレスの3つです。アクセントとイントネーションはともに音の高低を意味しますが、アクセントは単語レベル、イントネーションは文章全体での高低の調子をそれぞれ指しています。一方、ストレスとは音の強さを指すものです。

イントネーションをマスターすることは外国語の習得でも最も難しいとか。

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『外国語様アクセント症候群』を研究している、アメリカ・ブラウン大学のシェーラ・ブラムステイン氏は、患者の発話がもつ『メロディ』と『リズム』が、通常とは変わってしまっていることを発見しています。また、イギリス・ストラスクライド大学のアーニャ・クシュマン氏の研究では、患者たちは、他の者とは異なる言葉を強調して話すことがわかりました。

もっとも、言葉のアクセントやイントネーションの認識は人それぞれ異なるようです。患者の発音がロシア語訛りに聞こえる人もいれば、ドイツ語訛りに聞こえる人もいる……。こうした現象から、シティ大学ロンドンのヨハン・バーホーベン氏は「(訛っているように聞こえるのは)聞き手の生み出したフィクションだ」と述べています。

日本語は基本的に一定のリズムで、どの単語もほぼ同じ高さと強さで発音されるものとされている。

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劇団四季

原因はどこに

こうした発話の異常は、多くの場合、脳にその原因があると考えられるものです。

たとえばイタリアでは、脳に腫瘍を持つ女性が、イタリア語を南米訛りやイギリス訛りで話したケースが確認されています。腫瘍は、口や喉頭の制御を司る部分の近くに位置しており、その部分が圧迫されていたことが発話能力に影響していたのではないかと疑われました。実際、手術の数週間後、彼女は以前の発話を取り戻したといいます。

しかし、『外国語様アクセント症候群』の患者が、必ずしも脳の同じ部分にダメージを受けているとは限りません。シェーラ・ブラムステイン氏の患者である女性は、脳に一度打撃を受けたのち『訛る』ようになりました。しかし二度目の打撃が小脳にダメージを与えたのち、彼女は再び正常に話せたといいます。小脳が『リズム』に関係する領域であること以外、彼女が回復した理由はわかっていません。

シェーラ・ブラムステイン氏

「私たちは大いなる進歩を遂げたが、すべての答えを知っているわけではない」

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言葉とアイデンティティ

シェーラ氏はこのように述べています。「考えてみてください。眠って、朝目覚めたら、もはや自分自身の発音では話せなくなっていて、しかも自分では何もできることがないのです」

『外国語様アクセント症候群』の患者であるジュリー・マティアスさんは、「私は、自分とは何であったか、アイデンティティのすべてを失った」といいます。彼女は、鏡に映る自分の姿を見て言葉を発することすら恐れたこともあったようです。「それは私の声ではなかった」と彼女は話しています。

私たちの暮らす社会で『言葉』が果たしている役割は、単にその内容を伝えてコミュニケーションを取るというだけではありません。たとえば自分はどこで生まれ育ち、どのような語彙を持っていて、どのような話し方ができるか……。自分が意識していなかったとしても、『言葉』にはそういった情報が無数に織り込まれているのです。

内容以上に言葉は雄弁。

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誰でも、家族がいれば学校や職場もあり、ともすれば他のコミュニティにも所属しています。ひとつの場所では普通に使える『言葉』が別の場所でまったく通じないということは、決して珍しくはありません。たとえば内容や語彙ひとつとっても、コミュニティが異なればそこには『壁』が現れてきます。まして、それが内容以前の『発音』であれば言うまでもないことです。

『外国語様アクセント症候群』の患者たちは、自らのアイデンティティの問題とともに、周囲からの反応の数々にも対応していかなければなりません。マティアスさんの場合、たとえば症状の原因がわからないことに対して「嘘をついている」などといった攻撃すら受けたといいます。珍しい症例であるがゆえに、偏見や差別の問題は根深いようです。

では、もしも明日の朝、自分がそれまでと同じように話せなくなっていたら……。マティアスさんはあくまでも前向きであろうと努めており、「この症状が命を脅かすものでないことに感謝している」といいます。しかし、それでも彼女はこう語りました。「あなたは学ばなければなりません。日々、戦いつづけるために」

REFERENCE:

The mind-bending effects of foreign accent syndrome

The mind-bending effects of foreign accent syndrome

http://www.bbc.com/future/story/20150513-the-weird-effects-of-foreign-accent-syndrome

外国語様アクセント症候群 – Wikipedia

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%96%E5%9B%BD%E8%AA%9E%E6%A7%98%E3%82%A2%E3%82%AF%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%83%88%E7%97%87%E5%80%99%E7%BE%A4

英語の「リズム」「イントネーション」「ストレス」と内容語、機能語の関係

http://english-columns.weblio.jp/?p=1833

アクセントとイントネーション

https://www.nhk.or.jp/bunken/summary/kotoba/uraomote/027.html