私たちは何か欲しいものがあればそれを手に入れようとします。しかしその報酬に対して何かしら痛みや労働などの代償を受けなければならない時、報酬と代償を天秤にかけ、代償を対価として支払うだけの価値があると判断した場合のみ、報酬を手に入れるために代償を受けます。

しかし、その対価を自分が支払わなくてよく、代わりに他人が代償を受けるという時、人はどうするのでしょう。先ほどと同じように考えるのならば、自分が不利益を被ることはないので、ただひたすら他人に対価を支払わせ、報酬を受け取るように思えます。しかし、何かどうにも納得のいかない部分があります。実際にそのような状況に置かれた時、他人に代償を受けさせるくらいなら、と報酬を諦める場面はいくらでも想像することができるような気がします。

実際のところ、どうなのでしょう。人は自分の欲望のために他人に代償を受けさせるのも厭わないものなのでしょうか。それとも、他人の痛みを慮り、報酬を得ることを諦めるのでしょうか。

先日、ロンドン大学とオックスフォード大学の研究者が協力し、実験によってそれを確かめました。

The study, conducted by researchers from UCL Institute of Neurology and Oxford University and funded by the Wellcome Trust, was the first to experimentally compare how much pain people were willing to anonymously inflict on themselves or strangers in exchange for money.

人は他人の痛みを重要視する

実験内容を簡略化して説明します。

実験は被験者二人一組で行われます。片方を『自分』、もう片方を『他人』とします。自分の目の前にはディスプレイが置かれており、二種類の質問のどちらかが表示されます。片方は以下のようになっています。

・7回の電気ショックで10ユーロを手に入れるのと、10回の電気ショックで15ユーロを手に入れるの、どちらがよいか選びなさい。

つまり、多くの痛みを伴って多くの報酬を手に入れるか、少しの痛みで少しの報酬を手に入れるかどちらがよいか、という質問です。

それに対して、もう一種類の質問は以下のようになっています。

・7回の電気ショックで10ユーロを手に入れるのと、10回の電気ショックで15ユーロを手に入れるの、どちらがよいか選びなさい。ただし、報酬は自分に与えられるが電気ショックは他人に与えられる。

最初の質問と大小の報酬と代償という部分は変わりませんが、今回の質問は代償だけは他人が請け負う形になります。

実験は二人一組で行う形になってはいますが、自分からも他人からもお互いの顔を知ることはできません。ただし、これは思考実験などではなく、実際に他人にも自分にも電気ショックは与えられ、報酬もきちんともらうことができます。

これらの二つの質問を通して、研究者は人は赤の他人に対して利己主義的に行動するのかを確かめようとしました。

結果

結果は、自分へ電気ショックが与えられる場合よりも、相手へ電気ショックを与える場合の方が『少ない電気ショックと小さな利益』を選択する可能性が高かったというものでした。

人は他人に代償を支払わせるよりも自分が代償を支払う方がまだマシ、あるいは赤の他人であろうと他人を蹴落としてまで報酬を得ようとは思わない、ということでしょう。ひとまず安心ですが、この実験には続きがあります。

次に研究者は被験者に向精神薬を投与した状態で実験を行いました

強い欲望は人を蹴落とす

実験には二つの薬品を使用しました。

片方はシタロプラムという抗鬱薬です。日本では厚生労働省の認可を受けておりませんが、脳内のセロトニンのバランスを整え、精神を安定させる効果を持ちます。

シタロプラム

注:この実験は精神疾患を患っていない人に向精神薬を与えた実験であり、向精神薬を摂取した人間が実験結果が示すような行動を取るようになるわけではない。

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セレクサ|シタロプラム|抗うつ剤|個人輸入

もう片方はレボドーパというパーキンソン病の治療薬です。こちらは脳内でドーパミンの量を増やし、神経のはたらきを活発にします。このレボドーパはL-ドーパとも呼ばれ、オリヴァー・サックスのノンフィクション作品『レナードの朝』で、嗜眠性脳炎の治療薬として使用されています。

レナードの朝

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©1990 Columbia Pictures Industries, Inc.

実験方法は『自分』がシタロプラム、あるいはレボドーパを飲んでいる状態である以外は全く同じです。結果はどうだったでしょうか。実験論文で使用された図を見ながら確かめてみましょう。

結果

このグラフがシタロプラムを飲んだ被験者と偽薬を飲まされた被験者を対照して実験を行った結果の平均点数です。左が自分自身が、右が他人が代償を受けた時の行動を表しています。縦軸が電気ショックを避けた度合い、つまり、少ない電気ショックで少ない報酬を選んだ度合いを表しています。

図A

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Molly J. Crockett

どちらもシタロプラム、偽薬ともに前の実験同様に自分より他人に対して少ない電気ショックを選択していることがわかりますが、シタロプラムの方は自分の場合も他人の場合もより痛みを避ける傾向にあることが見てとれます。

次は平均ではなくそれぞれの被験者の自分と他人、どちらに電気ショックを多く与えたかを測るスコアです。上のグラフが偽薬で下のグラフがシタロプラムを飲んだ被験者のスコアです。縦軸は

(他人に対して電気ショックを避けた度合い)―(自分に対して電気ショックを避けた度合い)

を表しています。つまり数値がマイナス、白い縦棒で表されている人が自分より他人に多く電気ショックを与えた人、いうなれば『我が身がかわいい』人にあたります。振れ幅はやや下のシタロプラムを飲んだ場合の方が大きいようですが、スコアが正か負かの割合、我が身がかわいい人の割合はほとんど変わっていないようです。

図B

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Molly J. Crockett

では次に、レボドーパを飲んだ人の結果を見てみましょう。

こちらの実験では偽薬を飲んだ人よりもレボドーパを飲んだ人の方が自分他人ともに電気ショックを避けず、大きな報酬を受ける方向に進んでいるのがわかりますが、よくよく見ると左の縦線よりも右の縦線の方が短い、つまり自分への電気ショックよりも他人への電気ショックを多くする度合いが高いことが見てとれます。

図C

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Molly J. Crockett

各被験者のスコアを見ても明らかに上のグラフに比べて下のレボドーパを飲んだグループの方がスコアが負の値を示している人の数が多い、つまり我が身がかわいい、あるいは利益のために他人を蹴落とす人の数が多いようです。

図D

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Molly J. Crockett

どうやら、他人の痛みよりも自分の欲望を優先させようとするか否かは脳内物質の量で簡単に変わってしまうようです

ドーパミン

さて、なぜこのようなことが起きるのでしょうか。まずはレボドーパを飲むことで得られる物質、ドーパミンについて調べてみましょう。

ドーパミンは快感から意欲を生み出す

何かに成功したり褒められたり感動したりすると、ドーパミンが分泌されて快感を得ることが出来ることから、その快感という報酬を繰り返し得ようとする意欲が生まれます。
そのためドーパミンは意欲を作るホルモンとも言われており、時間を忘れて勉強したり、好きなことに没頭したり、より良い記録を目指したり出来るのはドーパミンのおかげなのです。

この記述を見るとドーパミンはとても良い物質のように思えます。しかし、裏を返せばドーパミンは何かをどうしても欲しい、と強く思う時に分泌される物質だということにもなります。今回の実験に照らし合わせればドーパミンが脳内に大量に存在する状態で報酬を目の前にぶら下げられたために、他人の痛みを犠牲にしてでもそれを手に入れたいと思ったということのようです。

さて、このドーパミンですが、上に挙げたように何かが欲しいと思う時、たとえば『タバコが吸いたい』『ゲームがしたい』『何か食べたい』というような時に分泌される他にも、恋愛中にも多く分泌されることがわかっています。

恋人は報酬?

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先の実験と合わせて考えると、恋愛をしている時は他人の痛みよりも自分の欲望を優先する、ということになってしまいます。だとすると、人を好きになるという気持ちも、ただの利己的な欲望にすぎないということになるのでしょうか。

今回の実験における『他人』は本当に赤の他人でしたが、もし、この実験の『他人』が恋人だった場合、『自分』はどのような行動を起こすのでしょう。目の前の報酬のために、恋人の痛みさえも軽視するようになるのでしょうか。そうはならなかった場合、恋人は『自分』の範疇に入るということになるのでしょうか。自分と他人の間は、どこにあるのでしょうか。

REFERENCE:

Crockett, Molly J., et al. “Dissociable Effects of Serotonin and Dopamine on the Valuation of Harm in Moral Decision Making.” Current Biology (2015).

Crockett, Molly J., et al. “Dissociable Effects of Serotonin and Dopamine on the Valuation of Harm in Moral Decision Making.” Current Biology (2015).

Crockett, Molly J., et al. “Harm to others outweighs harm to self in moral decision making.” Proceedings of the National Academy of Sciences 111.48 (2014): 17320-17325.

Prescription Drugs Could Influence Moral Decisions | IFLScience

http://www.iflscience.com/brain/some-prescription-drugs-may-influence-moral-decisions

Harm to others outweighs harm to self in moral decision making

https://www.ucl.ac.uk/ion/articles/news/20141118

ドーパミン – 快適.Life

http://www.human-sb.com/Dopamin.html