かつて、スクリーンで活躍したふたりのスター俳優がいます。主にアメリカとイギリスで活躍した、ローレンス・オリヴィエ氏ヴィヴィアン・リー氏です。ふたりは情熱的に愛を育み、20年間ともに生活した夫婦でもあります。もちろん、いくらスターとはいえ恋愛の生々しい部分は秘されたまま……と言いたいところですが、そうはいかないニュースが入ってきました。

ヴィヴィアン氏の手紙や日記、台本などを保管しているロンドンのヴィクトリア&アルバート博物館が、これまで非公開だった夫婦の手紙を公開したのです。

From its adulterous beginnings to the final years of cold indifference, the relationship between Laurence Olivier and Vivien Leigh was one of the great love stories of the 20th Century.
Now the story of their steamy passion – and its eventual demise – can be told in the great actor’s own words, as a cache of previously unpublished letters is made available to the public for the first time.

ただのバカップル

1937年、映画『無敵艦隊』での共演をきっかけに出会ったローレンス氏とヴィヴィアン氏は、あっという間に惹かれ合って交際を始めることになります。ただ、彼らにはひとつ大問題がありました。あろうことか、お互い既婚者だったのです。

それぞれのパートナーが離婚を拒否するのを押し切り、ふたりは同棲を開始します。また、映画会社もその関係を隠したままにしていました。

ローレンス・オリヴィエ氏(左)とヴィヴィアン・リー氏(右)。

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しかし、当時から関係は周知の事実でした。それでもふたりは人目を忍んで過ごしていたようで、ある日、ローレンス氏はこんな手紙をヴィヴィアン氏に送っています。

1939年5月30日
目立たないようにするのが、唯一の合理的な方法だ。

いくら人目を忍んでいても、ローレンス氏はヴィヴィアン氏を溺愛し、彼女のいない生活を『煉獄』とまで呼んでいます。もうどれだけ好きだったのでしょうか……。ある日の手紙には、このように書かれています。

1938年または1939年のある日
きみを求めて、いきり立って目が覚めたよ。ああ、神様、どれだけきみが欲しいか。たぶんきみも、自分自身を撫でていることだろう。

1939年4月23日
きみの下着を身につけて、裸で座っているところです。

そうですか。

ほかにも『きみなしでは満足できないから何もしていない』やら『お互いの身体で愛し合えば大丈夫』やら『スペシャルな種類の魂で愛してる』やら、忍んでいるのは人目だけと言わんばかりの書きたい放題です。こんなものを76年経って晒されるローレンス氏のことを思うと、これがリベンジポルノかという気持ちにもなってきます。

しかし、この時点でローレンス氏はスターの名声を得た俳優です。

ヴィヴィアン氏が映画『風と共に去りぬ』で主人公のスカーレット・オハラ役を射止めた際、彼は手紙に「きみのスカーレットを演じるアイデアは素晴らしい……美しくて、格調高い。スカーレットについて、きみに教えられる者がいないことがわかる」と書いています。

実際にヴィヴィアン氏は、この作品での演技でアカデミー主演女優賞を獲得しています。『風と共に去りぬ』も、現在までその名を残す歴史的名作となりました。

『風と共に去りぬ』。

ヴィヴィアン氏は演技に苦戦。撮影が辛いときはローレンス氏に電話で泣きついたとか。

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念願の結婚生活

1940年2月、ローレンス氏とヴィヴィアン氏は、それぞれのパートナーとの離婚が成立、ようやく正式に結婚へと向かっていきます。

しかし、5月にニューヨークで上演された舞台『ロミオとジュリエット』でふたりが共演した際、様々な批判が集まりました。ふたりの不倫についての指摘、イギリスで戦争に協力しないことの疑問視、演技・演出への苦言……。その後、映画での共演を経て、ローレンス氏はイギリスに戻り、ヴィヴィアン氏はイギリス軍の慰問のため北アフリカを訪れています。

1944年には、ヴィヴィアン氏の左肺に結核が見つかります。また、同年に妊娠が発覚しますが、6週間後に流産してしまいます。彼女はひどく落ち込み、ある時には突然暴れはじめ、またある時には疲れ果てるまで泣きわめいたといいます。どの場合も、彼女自身にはその記憶がありませんでした。

舞台『ロミオとジュリエット』(1940)。

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それらの出来事は、ローレンス氏に大きな衝撃を与えました。思えばそれが、ヴィヴィアン氏を長年苦しめる双極性障害のはじまりだったのです。ある時ローレンス氏は、ヴィヴィアン氏に一通の手紙を宛てています。

1945年のある日
親愛なるきみへの思いや考えを言い表すことができない。みじめなほど思い焦がれている。

社会的成功

1947年、ローレンス氏に変化が訪れます。

戦時中に製作した映画や、爆撃で劇場が破壊されたオールド・ヴィック・シアターの再建に取り組んだことが評価され、ナイトの称号を授与されたのです。また、1948年に監督・主演を務めた映画『ハムレット』は、アカデミー優秀作品賞・主演男優賞を受賞しています。

映画『ハムレット』より。

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同じ頃、ローレンス氏とヴィヴィアン氏はオーストラリアとニュージーランドへ巡業公演に出発します。ヴィヴィアン氏は不眠症を抱えており、ふたりは言い争っては憔悴していきました。ローレンス氏はこの頃を振り返り、『私たちは背負いきれないくらいの仕事を抱えていた』と述べています。

しかし翌1949年、ヴィヴィアン氏にも再び転機が訪れます。舞台『欲望という名の電車』で、主人公のブランチ・デュボワ役を務めたのです。

孤独の中で破滅する貴婦人という役どころや、過激なシーンを含むことから、周囲は彼女の精神状態を気遣いました。一方で彼女自身は、その役が自らにとって重要なものになると確信していたようです。

『欲望という名の電車』は賛否両論を巻き起こし、324回の公演を経て幕を閉じました。1951年には映画化され、彼女は2度目のアカデミー主演女優賞を受賞しています。

映画『欲望という名の電車』より。

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THE STICKING PLACE

この頃、ヴィヴィアン氏はブランチ役を演じ続けるストレスから精神的に追いつめられていました。ただしそのなかにあっても、彼女は夫からの手紙にはきちんと返事を書いています。1950年には、飛行機の中でこんな手紙を綴っているのです。

1950年8月1日
もしも一緒にいられたら楽しいだろうなって思うけど、でも、人生の何事もきっとそうよね。

また別のある日
私のラリー(ローレンス氏の愛称)へ。
あなたが私を思うとき、愛するヴィヴィアンがいつもそばにいることにきっと気づくでしょう。

しかしこの時、ヴィヴィアン氏は、ある秘密をローレンス氏に隠していたのでした。

崩壊

その秘密は、唐突にローレンス氏に打ち明けられることになります。

1953年、映画『巨象の道』の撮影現場で、ヴィヴィアン氏が突然の発作を起こしました。映画を降板、イギリスに連れ戻された彼女は、自分が俳優のピーター・フィンチ氏と肉体関係を持ったことをローレンス氏に告白します。しかもその関係は、1948年頃から数年間続いていたというのです。

ふたりの問題は、この騒動で友人たちにも知られることになりました。しかしローレンス氏は、彼女が舞台に立つことが一番の治療になると考え、その後も共演を重ねていきます。

映画『巨象の道』(1954)より。

ヴィヴィアン氏が演じる予定だった役は、その後エリザベス・テイラー氏が引き継いだ。

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1956年、ヴィヴィアン氏はローレンス氏の子供を再びその身に宿します。しかし妊娠4ヶ月で再び流産、彼女は深い絶望に襲われました。翌1957年には夫婦で舞台巡業に出発するも、彼女の精神状態はきわめて悪かったようです。

こうした繰り返しの中で、ローレンス氏は彼女の発作と色情症に思い悩んでいました。彼は女優のジョーン・プロウライト氏と不倫関係に陥ると、新たな生活に安らぎを感じるようになっていきます。同じ頃ヴィヴィアン氏も、俳優のジャック・メリヴェール氏と関係を持ちはじめます。翌1958年には、夫婦関係は破綻を迎えていました。

ジョーン・プロウライト氏(左)。

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ジャック・メリヴェール氏。

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そして1960年、ローレンス氏とヴィヴィアン氏はついに離婚することになります。

1960年のある日
ヴィヴィアン、きみが理解してくれることにありがとうと言いたい。きみは気高く、勇敢で、美しい。しかしこれは、きみにとっては地獄に違いないだろう。本当にすまない。本当に、本当に申し訳ない。きみが耐えてくれること、そしてぼくを自由にしてくれることに感謝します。

ああ、きみの幸せをどのように祈ろう。

ふたりの晩年

ヴィヴィアン氏は、離婚後もローレンス氏と友好関係を続けることを望んでいたようです。しかし、ローレンス氏は彼女と距離をとっており、それが彼女を自暴自棄にさせることもあったといいます。

そんな時、心の支えになっていたのがジャック氏でした。ヴィヴィアン氏は精神の平静を取り戻し、時折発作に襲われながらも、その後も女優としての活動を続けていました。

映画『ローマの哀愁』。

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kumiの地獄

しかし1967年には持病の肺結核が悪化し、同年7月8日の朝、帰らぬ人となったヴィヴィアン氏を、ジャック氏が自宅で発見することとなります。享年53歳、喀血が原因の窒息死でした。ローレンス氏はすぐに駆けつけ、一晩中彼女のそばにいたといいます。また彼は、ヴィヴィアン氏の葬儀委員長も務めました。

晩年のヴィヴィアン・リー氏。

最後の映画作品『愚か者の船』(1965)より。

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晩年のローレンス・オリヴィエ氏。

最後の映画作品『ウォー・レクイエム』(1988)より。

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ローレンス氏はジョーン氏との再婚後、3人の子どもをもうけています。ヴィヴィアン氏の死後も、1989年に82歳で亡くなるまで精力的に活動していました。彼は晩年、テレビで『ローマの哀愁』を観て涙し、ヴィヴィアン氏について『どうしてうまくいかなかったんだろう、彼女は美しい女優だった、声も容姿も美しかった』と語ったといいます。

彼がヴィヴィアン氏への手紙を最後に書いたのは、彼女の死から5週間前のことでした。その手紙は、最後にこう結ばれています。

1967年5月28日

心からの最愛の人へ。きみのラリーより。

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The Red List

REFERENCE:

From Larry with lust…Olivier’s X-rated letters to Vivien Leigh seen for first time