古来より遊戯や祭祀など、国を問わず私たちの生活に寄り添い続けてきた人形。そんな人形に今、革命が起きようとしています。果たしてこの革命は人類に何をもたらすのか。そもそも、実現するのでしょうか。

2015年5月21日、米国特許商標庁にてGoogleがインターネットに接続された動く人形についての特許を取得していたことが発表されました。

Google’s R&D team has looked into making internet-connected toys that control smart home appliances.

この特許の発案者はRichard Wayne DeVaul氏。『LinkedIn』の彼のページによると、彼はGoogle社の秘密研究所Google Xに所属する『迅速判定法とマッドサイエンスのディレクター』だそうです。

さらにDeVaul氏は自身のHPによると成層圏まで風船を飛ばし、空中でインターネット回線を作る『Project Loon』(Loon:ばか)の初代リーダーであったとのこと。なんだか肩書きといいプロジェクトの名前といい、少々、冗談が過ぎる人のようです。

Richard Wayne DeVaul氏

補足:彼の肩書きは原文では”Director of Rapid Evaluation & Mad Science at Google [x]”であり、”Rapid Evalution”をWeblio辞書に倣い『迅速判定法』と訳したが、彼のこれまでの仕事を見るに『Google Xではアイディアを出し合いそれを評価することで新しいものを作るためのひな形とする話し合いが行われており、彼はその指揮者、あるいは主任』という意味であると思われる。

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Richard W. DeVaul Ph.D.

しかしこんな人でもGoogleの社員です。そういった前提は一旦脇に置いておいて、ひとまず発表された特許の図を見てみましょう。

特許文書中のイメージ図

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United States Patent and Trademark Office

右のテディベアはともかく左のウサギはあまりかわいくないです。発表によるとこの人形たちはマイク、スピーカー、カメラ、モーターを搭載しており、声をかけると立ち上がり相手を見つめ、時には喜びや悲しみなどの感情を表現するとのことですが、左のウサギがこちらを見つめてニンマリ笑った日には子供だったら泣いていてもおかしくはありません。

実際、この特許の発表に対して海外の真面目なニュースサイトでさえ『DEVIL TOY』だの『チャイルド・プレイのチャッキーを思い起こさせる』等々、言いたい放題です。日本でいえばNHKにあたる、イギリスの公共放送、BBCのニュースまでもが『Five Nights at Freddy’s』(ホラーゲーム)を連想させる可能性があると述べている始末。そもそもにしてこの特許について、発表する側が『Google社の特許の中でも最もcreepyなものの一つ(creepy:身の毛のよだつような、気味が悪い)と言っています。DeVaul氏のこれまでの実績も相まってか、なんだかずいぶんとふざけたニュースのように思えます。

映画『チャイルド・プレイ』より『チャッキー』

殺人鬼の魂が乗り移っている。

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©United Artists Entertainment LLC All Rights Reserved

『Five Nights at Freddy’s』

監視カメラとライトを駆使して襲い掛かってくる機械人形達から身を守るホラーゲーム。

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©Scott Cawthon

しかし、あのGoogleがくだらないジョークのためだけに特許を取ったとは思えません。それに、ふざけた人という印象が強いですがDeVaul氏はマサチューセッツ工科大学の博士課程卒で、2011年にそれまで勤めていたAppleからGoogleに引きぬかれた非常に優秀な人物です。今は笑えるような話でも、いつかこの特許を元に非常に素晴らしいものを作り上げるのかもしれません。

ではなぜ今このようにジョークとして受け取られているのか、少し考えてみようと思います。

不気味の谷

ロボット工学の用語に『不気味の谷現象』というものがあります。

これはロボット工学者の森政弘・東京工業大学名誉教授によって提唱されたもので『人間のロボットに対する感情的反応について、ロボットがその外観や動作において、より人間らしく作られるようになるにつれ、より好感的、共感的になっていくが、ある時点で突然強い嫌悪感に変わる』現象を指します(さらに人間に近づくと再び好感度が上がる)。

不気味の谷

ちなみに英語圏ではこの谷に入っている状態を『creepy』と呼ぶ。

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不気味の谷現象 – Wikipedia

ロボット工学の言葉ではありますが、今回の特許に現れる人形はモーターもカメラも付いていて、ぬいぐるみというよりどちらかといえば人形よりもロボットに近い存在のようなので、この不気味の谷現象を当てはめて考えることができるでしょう。

小型遠隔操作型アンドロイド『テレノイド』

電話などをする際に抱えて使用することで相手の存在感を伝えるアンドロイド。暗闇に並べられると怖い。

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©Hiroshi Ishiguro Laboratories, ATR

存在感伝達メディア『ハグビー』

頭の部分に携帯電話を入れ、ハグビーを抱きかかえながら電話ができる。テレノイドとあまりデザインが変わらないが、こちらの方がかわいらしい気がする。

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©Hiroshi Ishiguro Laboratories, ATR

普通の人形にも動くものはありますが、ほとんどが単純な機構で人間とは似ても似つかないような代物です。それに比べて今回の人形はこちらを見て話を聞き、喜びや悲しみを表現するなど、かなり複雑で人間に近い存在です。この絶妙な人間臭さと見た目のギャップを見るに、今回の人形はまさに不気味の谷にハマっている、といえるでしょう。

つまり、それは逆に考えれば不気味の谷を越えればこの人形は再び好感度を上げ人々に受け入れられるということです。恐らくGoogleはこの不気味の谷を越えることを想定して特許を取ったのでしょう。

きちんと意志を持って一個体のように振る舞う人形。まるでヨーゼフ・バイヤー作曲『人形の精』、チャイコフスキー作曲『くるみ割り人形』などのバレエ作品のような夢のある話のようにも思えます。しかし、動かない『ただの人形』はどうなってしまうのでしょう。

人形は生きている?

冒頭でも触れたように人形は古来から人々に親しまれ、愛され続けてきました。その理由は『生物と不気味の谷を越えない程度の類似しか持たない』ことと『『生きている』のか『死んでいる』のかわからない』ことにあるといえるでしょう。前者が人の好感度を上げることについては既に触れたので後者について説明を行おうと思います。

土偶

紀元前、人類が狩猟から農耕に移り変わる時代から『人形』は人類と共にあった。

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土偶 – Wikipedia

人形は動いていないのだから『生きていない』と判断できるかもしれません。ですが、『生きている』状態がないのだから『死んでいる』と言うこともできません。何か禅問答めいたことのように聞こえますが、そう納得できない話ではないはずです。

人は『生きている』と思うものに対して多かれ少なかれ、自分を投影しています。相手が自分と同じように『生きている』と思うからこそ、相手を思いやり尊重することができるのです。逆に不快な虫などを、私たちは虫が生きているにも関わらず、まるで『生きていない』かのように簡単に殺します。虫が自分と同じように『生きている』と思うのならば、殺すようなことはしないはずです。

生きているのに『生きていない』?
生物学的には代謝に代表される、自己の維持、増殖、自己と外界との隔離など、さまざまな現象の連続性をもって『生命』とする場合が多いが、人はこのような機構を備えていない存在に対しても『生きている』と感じることがある。ここには生物学には当てはまらない人間の感情的な生死の判断がある。本記事ではそれら二つを分けるため、前者の生物学的な観点からの生死を鍵括弧なしで、後者の感情的な生死を鍵括弧付きで記述する。

いうなれば自己を投影しているか否かは相手を『生きている』と判断する指標といえるでしょう。では、人形の場合はどうなのでしょう。

ほとんどの人は、幼少時代に人形を使ったごっこ遊びを経験しています。好きなアニメや特撮の人形を持ちながら決め台詞を叫んでみたり、あるいは複数の人形を一つの家族に見立て架空の生活を送らせるというような。

その時、人形は『生きている』でしょうか、『死んでいる』でしょうか。

『ひょっこりひょうたん島』

NHK総合テレビで放送された人形劇。原作者の井上ひさし氏によって舞台が死後の世界であることが明かされている。ならば人形は『死んでいる』のか。いや、『生きている』ように見える。

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©井上ひさし/山元護久・ひとみ座・NEP

少なくともその瞬間、私たちは彼らの口の代わりに言葉を話し、動かない体を代わりに動かしています。人形を動かしている時、ある意味でいえば私たちは彼らに憑依している、ともいえます。ならばそれは彼らに自己を投影しているといえるでしょう。その時、人形はたしかに『生きて』います。

ですが、手を離れれば人形はまた動かなくなることも知っていて、また時には人形を雑におもちゃ箱の中にしまいこむことだってあります。少なくともその時は人形が『生きている』とは思っていないでしょう。

このように私たちは人形の生死を自分の都合に合わせて切り替えているのです。

シルバニアファミリー

こうして見ると彼らが生活をしているように見える。だがこの時に想起される感情は『生きた』人間に対してのものとは異なる。

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©EPOCH

人形に人権は無い

私たちはあらゆる『生き物』に自己を投影しています。しかし過剰な自己投影は人間関係であれば災いを招きます。それは相手が意志を持っている自由な存在だからです。相手をほとんど自分と同じように扱うのは相手の意志を否定する行動となってしまうでしょう。ましてや自分の代わりに不幸になってもらう、なんてことはできません。

しかし、人形であればそれは可能です。

形代流しというものがあります。これは人の形を模した紙に自分の名前、あるいは他人の名前を書いて川に流し、名前の書かれた人の代わりに厄災を請け負ってもらうというものなのですが、当たり前ですがこれを形代ではなく生き物を利用して行っては非倫理的な行為として場合によっては罰せられます。

しかし、形代であれば自己を投影し(『生きている』と思い)ながらも、『死んでいる』のだから自分の災いを請け負ってもらうことができます。このように、人形というものは、そのような矛盾をはらんでいるがゆえに限りなく自己を投影しやすい存在として人間に重宝されてきたのです。

つまり、人形は生死が不確定であるために『生きている』か『死んでいる』かを人間の都合に合わせて切り替えることができる、そしてそんな状態だからこそ自分を投影しやすい存在として愛されてきたといえるでしょう。

それではもし人と同じように意志を持ち言葉を話し感情を表現し、自己を過剰に投影できない『生きている』ことが確定している人形が現れたとしたら、それに対して決して動かない人形は『死んでいる』となってしまうかもしれません。

既に大人になった私たちはどちらもただの人形でしかないかもしれませんが、『生きた』人形が既にそばにある時代に生まれた子供が、動かない人形を見た時にどう思うのかは、誰にもわかりません。

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Getty Images

そのように考えると『生きた』人形の開発を進めるためのGoogleの今回の特許は、世の中に存在する人形すべてを『死』に追いやる可能性のある、非常に恐ろしい、まさにマッドサイエンスと呼ぶに相応しいものなのかもしれません。