みなさんは『天才』という存在をどのように認識しているでしょうか。たとえば鮮やかな閃きと思考能力で驚くべき発見をもたらす科学者や、難事件を次々に解決する名探偵。しかし、彼らは例外なく変人でコミュニケーションすらうまく取れない、そんなイメージでしょうか。

漫画やアニメ、小説やドラマなど、さまざまなポップカルチャーで描かれる『天才』像にもうひとつ顕著なのは、「その賢さゆえに孤独」という点でしょう。時には自身の存在に関する不安やフラストレーションを感じながらも、圧倒的才能で周囲を圧倒する、そんな『天才』の姿を物語に見たことがあるはずです。

かつてアメリカで、『天才』が『ただの人間』であることを暴く、実に1世紀近くに及ぶ研究が開始されました。今回はその実験から、『天才』と私たちの関係について考えてみたいと思います。

If ignorance is bliss, does a high IQ equal misery? Popular opinion would have it so. We tend to think of geniuses as being plagued by existential angst, frustration, and loneliness.

人間なのだ!

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©赤塚不二夫

神童たちの実験

1920年、アメリカにおける心理学者のパイオニア、ルイス・マディソン・ターマン氏が、スタンフォード大学に教育心理学の教授として就任しました。実に今から95年前、当時から彼は『天才』や才能ある子供たちの研究に強い興味を示していたといいます。

就任の翌年、ルイス氏は『天才の遺伝学的研究』に着手します。それは、いわゆる『神童』たちの知性が、成長過程でどのように発展するかという研究でした。カリフォルニア州で行われた検査では、研究対象としてIQ140以上の1,500人が選抜されています。そのうち80人は、なんとIQ170以上を記録していました。

神童

健康で、平均よりも身長は高く、肉体的にも発達していた。ともすれば他の子供たちよりも高い適応能力を見せたという。これらの特徴は、当時の『天才』のイメージとも一致していなかった。

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神童たちの多くは、成長すると当時のアメリカの中流階級に属していました。男性は主に教育・放送・法律・金融など当時の流行産業に従事し、一方で女性の多くは、はじめは主婦や教師、図書館司書や秘書などの職に就いています。

もっとも彼らのほとんどは、名前をよく知られている人間ではありません。たとえばノーベル賞を獲った者、政治を司る者、大富豪になった者はいません。しかし彼らは、それぞれの分野で傑出した才能を発揮しており、一定の富と名声を獲得したということです。

もちろん、すべての神童たちがそのような道を選んだわけではなく、なかには船の乗組員やトラック運転手などを志す者もいたといいます。

『アイ・ラブ・ルーシー』

元祖シチュエーション・コメディ。ルイス氏に選ばれた神童のひとり、ジェス・オッペンハイマーが脚本を執筆。

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しかし、ルイス氏は「彼らの知性と業績は完全に一致しない」と述べているほか、その知性が彼ら自身に幸福をもたらしたとも言い切れなかったようです。離婚経験者やアルコール依存症患者、自殺者の割合は、全国平均とほぼ同じ値を示していました。

神童たちの挫折

1956年にルイス氏が没したあとも、最後のひとりがいなくなるまで、神童たちの『その後』を追う研究は継続されています。しかし、彼らが年齢を重ねるにつれて、「必ずしも知性が人生によい影響を与えるとは限らない」という説は何度も語られていました。さまざまな困難を前にして、1970〜80年代を迎えることができなかった者も少なくはなかったといいます。

1990年代に入ると、神童たちは自らの人生を振り返るように求められました。しかし彼らの多くは、成功体験ではなく、若い頃に受けた期待に応えられなかったという『才能の限界』について語ったのです。彼らにとって知性とは、人生の途中から『足かせ』になっていたのかもしれません。

高い知性は幸せとは関係ない、むしろそのせいで満たされないこともある……。それはもちろん、ルイス氏に選ばれた彼らだけではありません。

スフィア・ユソフ氏

1997年、弱冠13歳でオックスフォード大学に入学するも、3年後に突如逃亡。2008年、コールガールとして働いている事実が発覚。行為中に方程式を暗唱して客を喜ばせている、と語り世間を驚愕させる。

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OH! MEDIA

知性と判断

私たちは『天才』に好き勝手なイメージを抱いては、彼らが成功すれば羨み、失敗すればその物語を半ば娯楽のように消費している……。そう表現しても、きっと言いすぎではないでしょう。「なぜあの賢さであんな人生になったのか、なぜそんな選択をしたのか」。彼らの判断にミスがあったと判断したとき、私たちは時に思わぬ残酷さを見せているかもしれません。

そんななかで、トロント大学のキース・スタノヴィッチ教授は「公平公正な判断とIQは、ほとんど別の問題である」と明言しています。たとえば自らの持論を組み立てるとき、その入り口となる仮説を捨てられるかどうか……。教授は「平均的なIQの人々に比べて、賢い者ほどそれができない傾向にある」と述べています。

キース・スタノヴィッチ教授

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The Grawemeyer Awards

しかし、教育が基本的に知能の向上を目指すものである以上、これは『天才』たちに限った話ではありません。

そもそも知性とは、一定のIQを持つ者だけに与えられたものではないはずです。たとえば私たちが何かを考えるとき、主張するとき、そのために情報を集めるとき、以前からの自らの態度を無意識に補強しようとしてはいないでしょうか?

名探偵にも冤罪の可能性

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©青山剛昌/小学館

『賢さ』の定義

カナダ・ウォータールー大学のイゴール・グロスマン教授は、「古くなってしまった『賢さ』の定義を、私たちは変える必要がある」と考えているようです。彼の実験では、被験者たちの会話を心理学者が聞いて、いくつかの基準から分析しています。率直な主張になっているか、自分の知識や知見の限界を認めているか、理屈に合わないこだわりを無視しているか……。

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すでにこうした基準を人材採用に取り入れる計画があると発表している。

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イゴール教授によると、私たちは自分自身について考えている時よりも、他の誰かについて考えている時のほうが、より先入観なく物事を捉えられるといいます。自分の問題を「彼」や「彼女」といった三人称で考えると、感情的な距離感も適切になり、より賢明な判断ができるようになるというわけです。

一部の『天才』が、鮮やかな閃きと思考能力で驚くべき発見をもたらしてくれる。まるで神頼みのような、そんな考え方はもう古いのかもしれません。『天才』もひとりの人間でしかない以上、できるだけ頭を柔らかくして、必要ならば言葉を紡いでいくしかない……。まして『天才』でないならば、よりいっそうの努力が必要になるでしょう。

REFERENCE:

The surprising downsides of being clever