たとえばある日、突然に視力が失われてしまったら。ちょっと想像してみるだけでも恐ろしい話です。しかし、絶対にないとは言い切れません。

元科学者のアレン・ズデレード氏が、その視力に問題を抱えはじめたのは今からおよそ20年前のことでした。少しずつ状態は悪化し、やがて彼は強い光以外を感じることができなくなったといいます。しかし今年、彼は10年ぶりにその視力を取り戻しました。『バイオニック・アイ』を、その眼に移植することによって……。

A 68-year-old Minnesota man was able to see his wife for the first time in a decade last week after becoming the fifteenth person in the country to receive a “bionic eye” implant.

盲目の元科学者

アメリカ・ミネソタ州、フォレストレイクに暮らすアレン・ズデレード氏(68歳)は、妻・カルメン氏と、45年間ともに生活しています。アレン氏はかつて、化学・電子素材メーカー『3M』で科学者としてキャリアを重ねていました。しかしそんな彼を、ある時ひとつの病が襲ったのです。

アレン・ズデレード氏

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眼の中に入った光は、眼底の網膜で神経の信号へと変換されます。この信号が視神経を通じて脳へ送られることで、私たちは光を感じることができるのです。網膜は1億数千個もの視細胞によってできています。

アレン氏を襲った網膜色素変性症は、この網膜の視細胞が年齢よりも早く老化して機能しなくなる病気です。暗いところでものが見えにくくなる夜盲にはじまり、視野狭窄や視力の低下、色覚異常などの症状がみられます。その進行は非常に遅いといわれていますが、30代で視力を失う人もいれば、70代で良好な視力を維持する人もいるようです。

4,000人〜8,000人に1人が発病。根本的な治療法はない。

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科学者としてのキャリアを終えてから約10年間、アレン氏は事実上盲目でした。その眼の代わりを果たしてきたのは、妻であるカルメン氏だったのです。

妻・カルメン氏(左)

アレン氏は「目を閉じていてもキスはできるよ」と言って笑った。

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アレン氏とカルメン氏には10人の孫がいます。アレン氏は、家族や孫と過ごす時間をとても楽しみにしているといいます。

「孫たちが部屋に入ってきたときに、その成長がわかるのはとても素晴らしい。オレゴン州に住んでいる孫はかくれんぼが大好きなんだ、でも彼らはまったく隠れる必要がない。部屋の隅っこ以外にはね」

アレン氏・カルメン氏と10人の孫たち

しかしアレン氏は、ほとんどの孫の顔を見たことがない。

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そんなある日、アレン氏は眼科医レイモンド・イエッツィ氏に出会いました。その頃、人工網膜システム“Argus II”について調べていた彼は、なんとアレン氏をその移植者に選んだのです。アレン氏は人生を振り返りながらこう話しています。

「これまでの人生で、私は科学技術や研究に夢中になりつづけてきた。だから先駆的な製品や実験のこと、それらのリスクについてはわかっている。しかし、誰かが必ずひとりめにならなければならない。私がなれることは、幸せなことだ」

後にレイモンド氏は、アレン氏を移植者に選んだ決め手は「彼の好奇心と気質」だったと語っています。かくしてアレン氏は、ミネソタ州で初の『バイオニック・アイ』移植に挑むことになったのでした。

視力が戻る、それは思ってみないことだっただろう。

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バイオニック・アイ

アレン氏が眼球に移植することになった“Argus II”は、失明患者の視力回復を目的に開発されたデバイスです。その研究と開発には25年以上の年月を要し、また3〜5億ドルもの費用が投じられたといわれています。

メガネ型デバイスと小型コンピュータのセット。

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視覚を取り戻す仕組み

目の前の風景をメガネ内蔵カメラで撮影。

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映像はコンピュータで変換。

電気信号となってメガネに戻される。

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信号はメガネのアンテナから眼球へ。

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生きている視細胞を刺激して視神経に到達。

損傷した視細胞は迂回するようになっている。

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眼科医レイモンド氏は、『バイオニック・アイ』は眼球の代わりになるものではなく、目と相互に作用するものだと述べています。アレン氏は術前に、現在見ることのできる光量と光の動きを測定され、移植手術に臨みました。

3時間の手術で、アレン氏の網膜には60個の電極が埋め込まれた。

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蘇る視力

移植手術から2週間、とうとう『バイオニック・アイ』を動作させる日がやってきました。

アレン氏も期待と不安が入り混じる。

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娘のマーラ氏(左)と孫のカレブ氏(右)

当日は親族も集まった。

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緊張の対面。

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視線が交わされる。

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そして抱擁。

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アレン氏は、視覚が戻る様子について「まずは光って、やがてその形が変わるのがわかった」と話しています。

“Argus II”がもたらす視覚は、微細で正確なものではありません。アレン氏が見たのは白・黒・グレーによる50〜60ピクセルのイメージで、人間の視力でいえば0.01に相当し、自分の目の前に物があるか、それが動いているかを識別できるレベルなのだといいます。

こんな感じに見える。

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それでも視力を取り戻したことに違いはありません。レイモンド氏は、アレン氏が移植に成功したと述べています。その喜びをアレン氏は語っています。

「時間も手間もかけて、エネルギーとスタミナを手に入れることができたことがとてもうれしい。神様は、前に進み続ける力を68歳に与えてくれた」

見えたものを全身で表現している。

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窓に映った自分を見て涙する。

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未来へ

アレン氏の『バイオニック・アイ』移植成功は、孫・カレブ氏(13歳)にも意味深いことでした。なんと網膜色素変性症は遺伝子に原因があり、50%の確率で子供に遺伝するのです。実際にアレン氏の娘・マーラ氏に病が遺伝していたことから、いま家族は、カレブ氏に遺伝していないことを祈っているといいます。

一方でレイモンド氏は、『バイオニック・アイ』を2人目の患者に移植する計画と、緑内障患者や戦闘で目を失った兵士にデバイスを移植するための研究を開始しました。“Argus II”も、映像のカラー表示や、4倍以上の解像度の実現を目指して改良が進められているといいます。しかし、実現にはまだ時間がかかるようです。

カレブ氏

すでにレイモンド氏の診察を受けている。

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レイモンド・イエッツィ氏

彼もまたアレン氏に勇気づけられたという。

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現在『バイオニック・アイ』を求める患者は多く、すでに100人以上が“Argus II”を14万ドル以上で購入しています。しかし世界に約3,900万人(2010年推定)といわれる全盲者の多くにとって、その敷居は非常に高いことでしょう。彼ら全員に移植の機会が巡ってくるのは遥か遠い未来になりそうです。けれども大切なことは、『見える』可能性そのものかもしれません。

遠い昔から、人類は失明の治療法を模索してきました。しかし25年ほど前まで、その方法は考えつかれてもいなかったのです。たとえばある日、失われた視力が戻ったら……。いまや絶対にないとは言い切れないことです。今は一刻も早く、多くの人にその可能性が届くことを祈るしかありません。

すぐに妻を見つけられたか、と尋ねられたアレン氏はこう答えた

「かんたんだった。彼女がこの部屋で一番きれいだったから」

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REFERENCE:

Allen Zderad Sees Wife for First Time in Decade After ‘Bionic’ Eye Implant

Allen Zderad Sees Wife for First Time in Decade After ‘Bionic’ Eye Implant

http://www.nbcnews.com/news/us-news/allen-zderad-sees-wife-first-time-decade-after-bionic-eye-n311216

“Bionic” Eye Implant Offers Hope of Restoring Vision

http://newsnetwork.mayoclinic.org/discussion/bionic-eye-implant-offers-hope-of-restoring-vision/

Man gets bionic eye, sees wife for first time in decade

http://www.kare11.com/story/news/health/2015/02/16/blind-forest-lake-man-sees-wife-for-first-time-in-a-decade-after-receiving-bionic-eye/23530771/

Allen Zderad Is the First Minnesotan to Have a Bionic Eye Installed

http://blogs.citypages.com/blotter/2015/02/allen_zderad_is_the_first_minnesotan_to_have_a_bionic_eye_installed.php

難病情報センター | 網膜色素変性症(公費対象)

http://www.nanbyou.or.jp/entry/196

網膜色素変性症

http://www.skk-health.net/me/09/

Second Sight

http://www.2-sight.com/

6×9ピクセルの視覚:米国で「バイオニック・アイ」提供へ

http://wired.jp/2013/07/05/a-bionic-eye-renders-the-world-in-6×9-resolution-for-the-blind/

ライオンズが 2,600万人の視覚障害者減少に貢献

http://www.lionsclubs.org/JA/news-and-events/newsroom/release-121.php