ロシアのアルタイ自治共和国にあるウコク高原。『アルタイの黄金山地』と呼ばれ、ユネスコの世界遺産に登録されているこの風光明媚な土地で、1993年に永久凍土から2500年前の王女のミイラが発見されました。現在、彼女は『ウコクの王女』と呼ばれ『アノーヒン博物館』に展示されています。しかし、ある理由から2015年には再度埋葬されるそうです。

『ウコクの王女』

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発見当時、王女は2人の男性と鞍をつけた6匹の馬と共に埋葬されていたそうです。髪の毛は完璧に剃られていて、馬の毛で出来たかつらをつけていました。生前の年齢は25〜28才、身長は1.62メートル、死因は癌だったと推測されています。また、体はほぼ腐敗して白骨化していましたが、肩と左腕はミイラ化されており、タカのくちばしとひつじの角を持つ神話上のシカなどの刺青が見られました。

現代の技術により再現された王女

身に纏うドレスは中国製の絹やシルクで出来ていたそうだ。当時、シルクは金よりも価値があったという。

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現代に再現された王女

なんとなく気だるそう。

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王女の呪い

今回、王女が改葬されるに至ったには奇妙な理由があります。実は彼女が発掘されてからというもの、アルタイ地区で不吉なことが起こりはじめたのです。たとえば、発掘に参加した考古学者が悪夢にうなされたり、ミイラを乗せたヘリコプターが原因不明のエンジンストップにより、危うく墜落するということもありました。しかも、近隣の村では自殺者や病気にかかる人が急増したそうです。

最も人々を震撼させたのは、2003年に起こったマグニチュード7を越えるチュヤ地震です。1週間のうちに3度も大きな地震があり、地すべりや洪水を引き起こし1800人の村人が家を失いました。幸いにも死者は出ませんでしたが、人々は王女の呪いだとして恐れました。実は当初から村のシャーマンは、絶対に彼女を動かしてはいけないと言っていました。というのも、遺体は死の王国の入り口を塞いでいたからだそうです。

アノーヒン博物館に展示されるウコクの王女

博物館の管理者であるRima Yerkinova氏はウコクの王女を展示しながらも、内心はどこかで彼女を埋葬するべきであると強く思っていたそうだ。

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最終的に、地元の政治家Aulkan Djatkambayev氏と老人たちが女王奪回のために立ち上がりました。氏は「私は科学を尊敬しているが、我々は科学者ではなく遊牧民だ!」と言っています。科学者は遺体を『もの』として捉えるが、遊牧民はそれ以上の何かとして捉えるということでしょう。その熱意は自治区と博物館を動かし、2015年にはウコクの王女を弔うために大きな墓が建設され、再度埋葬されます。

『ウコクの王女』の墓

建築家Akai Kane氏によって作られた現段階での墓のスケッチ。氏は今後もメディアを通して様々な意見を取り入れ、設計に活かしたいとしている。

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ファラオの呪い

ウコクの王女で思い出されるのは、あの有名な『ツタンカーメンの呪い』かもしれません。

1922年11月4日にハワード・カーター氏率いる調査隊は、古代エジプト第18王朝のファラオ、ツタンカーメンの墓を発見しました。ところが、それからと言うもの、発掘に関わった人々は次々に死に始めたそうです。結局、1930年までに調査に関わった23人のうち22人が死亡しました。理由は墓の底に、ガスが蔓延していたこと致死性のカビがはびこっていたことなどが挙げられますが、単に調査隊の多くが高齢者だったとする意見もあります。真相は未だによく分かっていません。

ツタンカーメンの黄金マスク

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The Teregraph

科学技術が進歩した国に住んでいると、呪いと言われてもどこかで偶然ではないか疑ってしまいます。しかし、生きている人間でさえ寝ているところを起こされたら気持ちの良いものではなく、ましてや2500年も熟睡していたとするとその怒りはすさまじいものだったのかもしれません。美しいウコク高原に平和が戻ることを願っています。