ストレスが溜まると胃が痛くなったり便秘をしたり、緊張すると下痢をしたり……心の状態と胃腸の働きには密接な関係があるようです。これは『腹が立つ』、『はらわたが煮えくり返る』など、感情に関わることを『ハラ』と表現することからも、昔から腹と感情は密接な関係があると考えられていたことがわかります。

実際に神経伝達物質セロトニンのうち90%以上が腸で生産されているということが80年代に発見され、腸は『第二の脳』とも呼びうる独立した神経ネットワークを持ち、脳と相互に作用し合う存在であることが明らかになりました。

近年、その腸のはたらきを支える陰の立役者『腸内細菌』の存在がクローズアップされています。腸のひだの間にびっしりと棲みつき、宿主である私たちの食べたものを養分とするかわり、私たちの免疫機能や消化機能のみならず精神状態にいたるまで、あらゆる面で重要な役割を果たしていることが分かってきました。

腸脳相関の発見者マイケル・D・ガーション博士

ただし、腸内のセロトニンは血液脳関門(血液と脳の組織液間での物質交換を制限する機構)を超えて脳内へ届かないため、いわゆる『幸福物質』といわれる脳内セロトニンの働きとは別物。腸内セロトニンが過剰分泌されると腸の異常蠕動を引き起こし、下痢や便秘、ガス過多などの症状が出ると言われている。

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columbia university medical center

腸内細菌と共生する私たち

植物は日光や水などの環境だけで必要な全ての栄養をまかなえるのに対し、私たち人間は生きていくうえで不可欠なアミノ酸のうち9種類を自らの体内で合成することができません(必須アミノ酸)。そのため、自ら動き回り得た食物を資材として、腸内細菌にアミノ酸やビタミンを作ってもらうことで、私たちは効率よく必須栄養素を得ることができるのです。

アフリカのマラウイで、同じ栄養状態にある双子の子どものうち一人は栄養失調による病『クワシオルコル』を発症したがもう一人は発症しなかったという事例がありました。研究者たちは両者の違いが腸内細菌の有無にあることをつきとめました。健康だったほうの子は腸内細菌叢がしっかりしていたため、少ないカロリーからでも栄養を得ることができる仕組みが整っていたのに対し、クワシオルコルを発症した方の子は腸内細菌叢の生育が充分でなかったために食物を栄養に変える力に乏しかったのです。

今、地球規模で食糧問題が取り沙汰され、雑草食や昆虫食なども注目されていますが、腸内細菌の発見によって、私たちの身体のほうを環境に適応させ食生活をコントロールしていける可能性も考えられます。

クワシオルコルの子ども

タンパク質不足により発症する。クワシオルコルとは『上の子・下の子』の意味で、下の子が生まれて上の子を乳離れさせることが原因で起こることに由来している。

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chronicle

脳神経と腸内細菌

腸内細菌が具体的にどのような役割を果たしているのか調べるため、マウスを無菌室で育てるという実験が行われ、その結果が『米国科学アカデミー紀要』に掲載されました。
この実験では、
・無菌状態に保たれたマウス(腸内細菌なし、以下GFマウス)
・特定病原体不在環境下で飼育されたマウス(腸内細菌あり、以下SPFマウス)
・SPFマウスの腸内細菌叢を移植したGFマウスを有菌環境のアイソレータ内で飼育したもの(以下CONマウス)
 の行動を観察しています。

オープンフィールドテスト

新奇環境下での自発的な活動性を測定するテスト。マウスにとって新奇で広く明るい環境であるオープンフィールドの中にマウスを入れ、一定時間自由に探索させる。- 脳科学辞典 行動テストバッテリー

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日本マウスクリニック

明暗箱試験

マウスが新奇環境下で探索行動を行う性質と、明るい環境を避ける性質とを利用し、不安様行動を評価するテスト。移動回数が多く、明箱での滞在時間が長ければ不安様行動の低下が、逆に移動回数が少なく、明箱での滞在時間が短ければ不安様行動の増加が示唆される。- 脳科学辞典 行動テストバッテリー

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MELQUEST

この結果、GFマウスはSPFマウスよりも運動が活発であったほか、明箱に長時間滞在したりオープンアームへ度々進入するなど、不安様行動の回数も有意に少なかったといいます。またCONマウスについては、幼い段階で腸内細菌叢を移植したものはSPFマウスに近い挙動を見せた一方、成体となった後に移植したものはGFマウスと同様の行動をとりました。

GFマウスはこのように楽観的で大胆な行動をとるほか、内臓に萎縮や奇形が見られたり、生きていくのに健康なマウスより多くのカロリーを必要としたり、他のマウスとコミュニケーションがとれず非社会的行動をとる傾向があったということなども報告されています。

高架式十字迷路試験

マウスが壁際を好み、高所を避けるという性質を利用した不安様行動のテスト。自発的交替課題を行うためのY字迷路を高架式にし、壁を持つアーム(クローズドアーム)と壁のないアーム(オープンアーム)を組み合わせ、それぞれのアームへの進入回数から不安様行動を評価したものが原型となっている。- 脳科学辞典 行動テストバッテリー

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中日メディカルサイト

サイコバイオティクスの誕生

これらの実験から、腸内細菌がマウスの脳神経の発達に影響を与えているということが明らかになりました。研究を主導したスヴェン・ペターソン教授らは、ヒトにおいても同様に成長期における腸内細菌とのかかわりが成人後の性格にも影響を与えるのではないかということを示唆しています。

外からやってきて腸内に棲みついた微生物が私たちの心や行動にも影響を及ぼしているかもしれない……認知や行動を司るのは脳であるはずなのに、腸内細菌がどのようにそこへ関与してくるのか?脳のまわりには『血液脳関門』と呼ばれるバリアが張り巡らされており、病原菌など有害な物質が脳に入るのを防いでおり、腸内で作られたセロトニンやドーパミンはそこを通過できないと言われています。それなのにどうして腸内細菌が脳神経に影響を与えることができるのでしょうか。

最近、この疑問に答える新たな有力な学説が生まれてきました。腸内細菌が腸神経を刺激することで電気信号を発生させ、その信号が迷走神経を経て血液脳関門を越え中枢神経へと伝えられるという説(アイルランド、コーク大学ジョン・クライアン教授ら)です。彼らは論文の中で、精神状態を変化させうる微生物のことを『サイコバイオティクス』と呼び、今まで縁遠いと思われてきた微生物学と神経化学を結びつける端緒をなしました。

John F.Cryan

この発見は神経科学における「パラダイムシフトである」と言う。なお、自閉症に腸内細菌の不在が関与していることを証拠立てる論文を発表したことでも有名。

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twitter

すでに、社交的で活発なマウスの腸内細菌を内気なマウスに移植すると行動が活発になったというデータや、ある特定の腸内細菌を多く持つ子どもたちは『好奇心が旺盛』、『社交的』などの性格特性が共通している傾向があったなど様々なデータも上がってきています。

3つの腸内細菌叢タイプ

腸内細菌叢は、生まれる時に母親の産道に生息する細菌が口に入り、生まれてからは母乳を飲んだりおしゃぶりを通して色々な菌が体内に入ってくることで、だいたい離乳期頃までに形成され、それ以降は変更を受けにくいことが分かっています。

人類の細菌叢タイプ(エンテロタイプ、腸型)は大きく分けて3種類に分類され、それぞれバクテロイデス属、プレボテラ属、ルミノコッカス属の多い型となるそうです。バクテロイデス型は中国やアメリカなど高タンパク・高脂肪(肉食中心)の食生活の人に多く、プレボテラ型は日本や東アジアなど高炭水化物・低脂肪・低タンパク食(菜食中心)の人に多く、ルミノコッカス型はその中間の食生活の人に多いそうです。

バクテロイデス菌は脂肪を燃焼させる働きがあるので、この菌が多い人は太りにくくなりますが、ルミノコッカス菌が多いと糖質と脂肪を吸収しやすいので太りやすく、心筋梗塞や脳梗塞をおこしやすい。同じものを食べても太る人と太らない人がいるのは、こうした腸内細菌叢タイプも関係していることが明らかになっています。

また、特定の腸内細菌の不在がガンや肥満、アレルギー、クローン病やパーキンソン病、うつや自閉症など様々な病気の発症リスクを高めていることも分かってきています。腸内細菌叢を調整することで体質を改善し病気を防げるかもしれないということで研究に期待が集まっています。

左からバクテロイデス、プレボテラ、ルミノコッカスの顕微鏡写真

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heraldo.es

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meddic.jp

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institute of food research

幼児期に形成された腸内細菌叢タイプを大きく変更する手段として『糞便移植』という方法があります。文字通りドナーに提供してもらった便をろ過して移植するという方法で、ディフィシル感染症など腸内細菌に由来する疾患の治療法として注目されています。施術方法も至ってシンプルであるため、腸内環境改善などを目的として積極的に移植を受けられるようになるかもしれません。

また、細菌叢タイプを根本から変更することはできなくても、発酵食品など善玉菌の好む食物を継続して外から取り入れることで細菌叢のバランスを良い状態に保っていくことは可能です。

クロストリジウム・ディフィシル菌

2015年の調査によると、米国では推定45万人が発症しており、年間3万人近い死者が発生しているという。

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BioWeb

汝自身を知れ

とはいっても腸内細菌の活動は自分では直接眼で見ることができず、せいぜい便の状態から良し悪しを推し量るしかありません。もっと可視化したい、ということで、自分の腸内環境を把握することができる解析サービスやスマホアプリなども登場してきています。

株式会社サイキンソーによる、自宅でできる腸内細菌叢検査サービス”MyKinso”

専用のキットで採便した後返送すると、DNA解析の技術を使って個人の腸内細菌叢タイプを判定してくれる。結果を元に腸内年齢・オススメのライフスタイルも提示してくれるサービスで、今年中には一般向けにサービス開始予定。

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株式会社サイキンソー

排便を記録・観察して健康管理をしようというiPhoneアプリ『ウンログ』

排便したら色や形状、膨満感、臭いにしたがってキャラクターを選択して登録することで排便ログをつけられる。時々キャラクターが変身したり、排便すると貯まる『ログポ』をプレゼントするなど、毎日の排便が楽しくなるような仕掛けも。

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Cadetto通信

近年、テクノロジーの発達により体内・体外の境界線があいまい化しつつありますが、外なるものであると同時に内なるものでもあり、私たちと外界をつなぐインターフェースである腸内細菌は、最も原初的で有機的なウェアラブルデバイスであるといえるのかもしれません。自分の腸内細菌叢の様子をスマホから観測し、腸内細菌の種類も私たちの都合に合わせて選択できるようになる日もそう遠くないかもしれません。

REFERENCE:

gut feeling:how intestinal bacteria may influence our moods

gut feeling:how intestinal bacteria may influence our moods

http://www.cbc.ca/news/gut-feeling-how-intestinal-bacteria-may-influence-our-moods-1.2701037

北緯50度の栄養学(フォイト栄養学)

http://syokutokenkou.cocolog-nifty.com/blog/2009/02/50-226f.html

生命科学DOKIDOKI研究室

https://www.terumozaidan.or.jp/labo/technology/24/03.html

全体として生きる腸内細菌をはたらきで計測する

http://www.brh.co.jp/seimeishi/journal/059/research_21.html

クワシオコアと腸内細菌

http://www.sotokoto.net/jp/essay/?id=114

サイエンス誌が選ぶ2011年の10大ニュース6 -腸内細菌と腸型

http://blog.livedoor.jp/xcrex/archives/65639050.html

腸内細菌が「不安」「うつ病」「気分障害」の治療にも、「サイコバイオティクス」に動き

http://www.mededge.jp/a/psyc/9977

善玉の微生物を含んだ食物を取ると悲しい気分を軽くしてくれる、腸内細菌が関係する

http://www.mededge.jp/a/psyc/12011

大腸 Large Intestine その8 「セカンドブレイン ~うつ病と腸の関係~」

http://chirotic.exblog.jp/15240980/

腸内フローラ・マイクロバイオームのエンテロタイプとは

http://yukoji.com/IntestinalFlora/Foundation/enterotype.html

「日本うんこ学会」はムーブメントを起こせるか

http://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/all/cadetto/tuusin/201502/540274.html

ウンログ

http://unlog.me/

株式会社サイキンソー

https://www.cykinso.co.jp/#home-article-1

Bacteria in our gut may influence both our physical and mental health

http://www.pri.org/stories/2014-09-08/bacteria-our-gut-may-influence-both-our-physical-and-mental-health

Can the Bacteria in Your Gut Explain Your Mood?

http://www.nytimes.com/2015/06/28/magazine/can-the-bacteria-in-your-gut-explain-your-mood.html?_r=0